釈党首や立木氏を、かわいいと言う栗林中将・硫黄島

ケニー爺

2015年06月10日 05:04

 ご存知かとは思いますが、釈量子党首の過去世は源頼朝でしたね。また、立木前党首の過去世は源義経でしたね。この二人に対しまして、かわいい、と言う表現をされたということは…。
源義朝(みなもとの、よしもと、いえ、よしとも)は、源頼朝・源義経らの父ですよね。しかも、現代に生まれ変わっているようですね~。
頼もしい方が、またひとり強力に協力して下さいますよ~、ありがたや、ありがたや~(爆)


【書籍】・栗林忠道中将の霊言・日本人への伝言
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戦後70年、日本人しての誇りを取り戻すために。
安保法制案を巡り、国会で与野党の激しい攻防が繰り広げられている、いま――
アメリカがもっとも怖れ、もっとも尊敬した日本陸軍の名将が語る先の大戦の意義、そして、この国の未来を守るための国防戦略。

▽米軍の本土上陸を断念させた「硫黄島の戦い」の真実
▽欧米の長きに渡る植民地支配からアジア諸国を解放した日本の功績
▽日米同盟強化と集団的自衛権の必要性
▽軍事的にみた中国の弱点と習近平の未来

■■ 栗林忠道の人物紹介 ■■
1891~1945年。陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。陸軍士官学校卒、陸軍大学校卒。アメリカの駐在武官を経験した知米派であり、硫黄島の戦いにおける日本軍守備隊の最高指揮官を務めた。アメリカ側の厭戦気運を高めるため、徹底的な長期抵抗戦で兵力を削ることを企図。全島に地下坑道を建設してゲリラ戦を行い、日本軍を上回る2万8千人以上の死傷を与え、アメリカ世論を揺さぶった。

「坑道」を掘って戦ったときの過酷な状況を語る
綾織 それは、どういうところから発想を得たのでしょうか。
栗林忠道 うーん。とにかく資材がないからね。だから、要塞はつくりようがない(笑)。 山は摺鉢山一個しかないから。これは見晴らせるところであるから、大事なところであるけども。あとは、ろくな植物も生えてないようなところであるので、「地下に坑道を巡らせて戦う」っていうことしかないかな。

まあ、どちらかといえば、「日本軍らしくない。卑怯だ」という意見が強かったんだがな。事前に土木工事ばっかりやらされてる連中は、十八キロ以上も掘らされて、「これはたまらん」っていうのもあったんだけど、向こうの「火力」を知ってたからね。地上での戦いなら、すぐに終わってしまうのは分かっていたので。やっぱり、それ(坑道)を崩せないぐらいの深さまで掘ってやらないかんし。 ただ、坑道のなかは、場合によっては(温度が)五十度を超え、六十度近くまでなる場合もあったので、「こんな硫黄の蒸気が出てくるようなところで、〝モグラ〟をやらせるのか」っていう。その作業中に、「もう早く死にたい」と言ってた人も多かったわね。

だから、「サイパンから(アメリカの)攻撃隊が出撃したらしい」っていう情報を得たときには、万歳してるやつがいたぐらいで。 「これで、やっと死ねる」というんで(笑)。
「穴掘りばかりやらされてたまらん。これでやっと潔く突撃して死ねる」と喜んでた連中がだいぶいたぐらいだったので、なかなか理解はしてもらえなかったが、説得に努めて、「君らだけを死なすつもりじゃない。われ常に諸子の先頭に立てり」ということを言っていた。 師団長で自ら先頭に立って、最後に突撃したのは、私ぐらいだろうとは思うけどね。 「死ぬときは一緒だ」と思ってはいたし、死ぬつもりでやってる私が考えた作戦であるんでね。生き残りたくて、穴を掘って籠城しようとしてたわけじゃないんで。

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