失明した私でも、努力で道が開ける!

ケニー爺

2015年06月14日 16:34

「ザ・伝道」第113号より転載、編集したものを、更に独断要約(笑)、でもまだちょっと長い~(爆)

全文はこちら↓
http://voicee.jp/2015052911118




Sさん(30代・男性)  

家業を継ぐ夢
私はみかん専業農家の長男として生まれました。
中学生の頃には、「将来、立派な果樹栽培者になるけん!」と決意し、自ら進んで農業高校に進学しました。1年生のときに、弁論大会で農業の今後の展望と自分の夢について語り、県の最優秀賞を受賞。すべてが順調のはずでした。

運命の一日
高校2年の秋の日。夕方、急に黒板の字がぼやけてきて、よく見えなくなりました。
それまで両目とも2.0あった私は、町医者で診てもらいました。「左目が0.01、右目が0.9ですね」
翌日、紹介された熊本市内の国立病院に行きました。
「視力は低下していますが、視神経の病気の場合、片目にきても両目とも悪くなることは少ないですから大丈夫でしょう」
それからは、毎日通院することになりました。

やるせない日々
入院から1カ月、ついに視力がゼロまで落ちました。心配した親戚や友人がお見舞いに来てくれましたが、私には誰が来たのかもよく分かりません。
「担任が、Sの病気を聞いて一晩泣いたげな」
約7カ月後、なんとか視野の外側がわずかに見えるようになったものの、それ以上の治療効果は見込めず、退院して自宅療養することになりました。
「自分も、いい加減、何かせんばいかん」

新しい生活
私は、4月から2年遅れで盲学校の2年生に転入しました。
「前の学校とあんま変わらん……」
ある日、友人が『神霊界入門』という本を持ってきました。
自分で本が読めない私は、比較的見えるその子に読み聞かせてもらえる時間が楽しみでした。
生まれ変わりのことや、天国や地獄について……。不思議な話が次々と出てきて、「へえ、あの世って、そうなるとや」と感心しながら聞きました。

新たな希望
『神霊界入門』の次は『太陽の法』という本でした。
仏とは何か、大宇宙の構造、守護・指導霊の存在……。
『太陽の法』に書かれていたことは、初めて聞く話ばかりで、私は休み時間が待ち遠しくてなりませんでした。しかし、まもなく夏休みに入って中断。
どうしても続きを知りたかった私は、自分で『太陽の法』を買って、家族に読んでもらいました。
「人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです」
「魂にとっての修行」という教えに衝撃を受けました。
「──目のことを自分で計画してきたかは、分からんと。ばってん、見えんなかでもできる努力はあるとよ……」
それからしばらくして、また弁論大会があり、私は再び出場しました。
「私は、日本一の果樹栽培者を目指す途中で失明し、一時は無気力になりました。だけど、盲学校という新たな道に進み、そこでできる努力があると気づきました。いま、点字という手段を身につけようとしていて大変だけど、『ここから将来が開ける』と思うと、日々が充実しています……」
将来の夢、挫折、そして立ち直り――。
自分の気持ちを正直に語った弁論は、大きな反響があり、全国で最優秀賞を受賞しました。

不思議な縁
高校卒業後、専門課程で3年間学び、点字で鍼灸の国家資格を取りました。さらに、全寮制の鍼の研究機関のある東京に出ました。
1つ年上の研究生から声をかけられました。「『太陽の法』っていう本のテープがあるんだけど、とってもためになるから聴いてみる?」私は、早速借りてきたテープを聴きました。
「この教えをもっと学びたい!」いてもたってもいられなくなり、支部に連れていってもらいました。そして、幸福の科学に入信したのです。
「肉体に障害があっても、魂は健全である」「睡眠中には魂が肉体を抜け出して霊界に還っている」というお話を聞いたときには、納得するものがありました。
「夢のなかではちゃんと景色や相手の顔が見えてる……。やっぱり、魂が本質っていうのはほんとうなんだ!」
その後、私は青年部で一緒に活動していた女性と結婚し、クイックマッサージのお店に就職しました。

未来のために種をまく
会社勤めには、初めのうちは戸惑うことが多くありました。
周囲の人との協調が苦手な原因を反省すると、「結果を早く出したい」という気持ちが人一倍強いことに気づきました。
「今世の生き方が来世を決める……。そうだ、今は、来世への種まきでもあるんだ。結果がすぐに出なくも、努力が無駄になることはないんだ」
そう思って淡々と努力するうちに、結果を焦る気持ちもおさまっていきました。

仲間の優しさが身にしみて
やがて店長を任されるようになりました。しかし、この時期は仕事も家庭も大変でした。
関連店舗、3店の各スタッフに技術指導をする多忙な日々。
一方、家庭では、長男が誕生。私への手助けと育児で相当負担をかけていた妻は、精神的に参ってしまいました。
しかし、辛かったこの時期に身にしみたのは、「できることがあったらするから、何でも言ってね」と気軽に声をかけてくれる仲間のありがたさでした。
私は、多くの方々に支えられていることに気づき、人の優しさは素直に感謝の思いで受け、その分、自分もお返ししていけばいいと思ったのです。
「これが、幸福の科学で教えられている、愛を与え合うことの素晴らしさなのだ」と、胸が熱くなりました。

夢の実現に向けて
私は、総本山・未来館の研修を受けに行きました。
研修で、管理職として真に部下を生かすための厳しさや、患者さん自身の立ち直る力を信じる心など、大事なことを、一つ、また一つと気づかせていただきました。
「完全な人はいない」と学んでいるけど、それは、「これから素晴らしくなる可能性がある」ということでもある。自分が関わり合いをもつことで、何かしらの手助けをしたい、それらすべてが治療なんだ。そう実感しました。
研修後、しばらくして盲学校から、校外臨床実習の生徒を受け入れることになりました。
「治療家として、しっかりとした技術を身につけることは、第一ですが、患者さんの立場に立った治療をするためには、自分のなかに“心の柱”を持つことがとても大切です」と語りました。
「心に柱をつくるには自分を見つめることが大切です。そして、努力が心の柱をゆるぎないものにし、これから出会う人々との関わりを支える力になるんですよ」
施術の指導をしながら、心構えについて話すと生徒たちもやる気が出てくるのが分かりました。
実習後、学校から「生徒たちが、人が変わったようになって帰ってきました。どういう取り組みをしてくださったのですか」という問い合わせがきました。
そこから話が進み、学校に講義をしにいくことに。
あるとき、雑誌の記事で紹介されたのをきっかけに、自社でも社外向けに講習会を開くことになりました。

ハンディもプラスとしてとらえられる
私は、今、明るい未来を確信しています。目が見えなくても、理想を描くことはできますし、実現のための努力もできます。
人一倍の努力は必要かもしれません。でも、努力が無駄にならないと知って、どれだけ自分の魂を成長させることができるかを考えたら、ハンディもプラスとしてとらえられるようになりました。

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