【新刊】霊言をさせろ!と言った野坂霊に光入る!
【新刊】野坂昭如の霊言
死後21時間の野坂昭如氏の霊言を試みる
亡くなってすぐ、「霊言をさせろ」と言ってきた野坂氏の霊
大川隆法 昨日の夜遅く(2015年12月9日午後10時半頃)に作家の野坂昭如さんが亡くなり、今日の夕刊にその報道が載りました。
そこで、(同氏の霊が)来ないように、宗務のスタッフが各紙に掲載された野坂さんの顔写真の部分にすべて白い紙を貼り、私に見えないようにしたのです。ところが、それが逆捩(さかね)じとなり、「わしを来させないつもりか」と、ご本人が腹を立ててやって来てしまいました(笑)。 逆効果になってしまい、午後6時から7時過ぎまでずっと(霊言収録の)〝交渉〟をされて、ご飯も食べられない状況になりました。
とりあえずやらなければ、「これを明日も明後日も、ずっと続ける。来週の火曜(12月15日エル・カンターレ祭開催日)までやる」と言っていたのです。
確かに、これまでにも、〝偉い人〟が亡くなると、こちら(教祖殿)へ来ています。サッチャーさんも、面識もないのに、比叡山の大阿闍梨もお出でになりました。《中略》
霊言が噓ではないことを認め始める野坂昭如氏
斎藤 先生、とにかく、今、「歴史的な現場」に立っております。 過去世においても、イエスを判定する立場に立たれていたということは推定されました。これは、よく分かりました。
野坂昭如 はい。
斎藤 そして今回もまた、「歴史の現場」に立っております。ある面、「歴史の法廷」かもしれません。ジャッジする立場に立たれておりますので。 どうか、今日、大川総裁のなかで体感した、ポカポカした暖かさというものを、あるいは、思い出した純粋なものを、もう一回振り返ってみてください。
松本 娘さんを安心させてあげてくださいよ。
野坂昭如 だから、わしにはよく分からんけども、ただ、(霊言は)「全部が噓ではない」ということだけは認めてもいい。全部は噓ではないだろう。
斎藤 ありがとうございます。
野坂昭如 まあ、確かになんか、わしの意志でしゃべらしてもらっているようには思うから、全部が噓ではないし、全部が創作ではないことは間違いない。また、知識だけで書いてるもんでもないっていうことは分かった。
斎藤 はい。ありがとうございます。
野坂昭如 野坂の本なんか、ほとんど読んでへんのは知ってるから。ほぼ読んでないと思うから。
里村 いえ、いえ。
野坂昭如 参考にもならんのだろうよ、たぶんなあ。ゴミにしか見えないんだろうからさあ。
里村 決してゴミなんてことはありません。
野坂昭如 読んでないんだよ。野坂昭如の霊言を録るために、野坂の本を読むなんてバカなことはしてないからさあ、全然。さっきから読む暇なんか全然なかったから。それは知ってるからさあ。だから、〝なし〟でやれることも分かった。
里村 うん。
野坂昭如 まあ、そらあ、勉強はしてるんだろうけど、これは「教養」として、しているんだろうってことは分かったからさあ。
里村 まあ、大変なもんですよ。今の内容をお分かりになったってことが。
野坂昭如 しかし、悔しいよなあ、人間として生まれてさあ……。 まあ、神というのがいて、地上に降りた同じ人間、脚二本、手二本、目、鼻同じの人間にだなあ、これだけ「ギフト」を与えるっていうかさあ、才能を与えるっていう、その神様の不公平感に対して、やっぱり悪魔のように「異議申し立て」したくならねえか?
里村 まあ、先生のその悔しい気持ちはよく分かりました。
松本 私どもも、受け止めさせていただきましたので。
斎藤 そういうお気持ちを持たれたっていうことには、耳を傾けました。
あとがき
最近は、生前、面識がなかったにもかかわらず、死の直後、私の所に霊言をするために交渉しに来る人が多くて、交通整理が大変である。おそらく、彼らの本心は、生前に、私と対談してみたかったのではないかと思う。 本音を言えば、野坂氏、水木しげる氏、北の湖親方と三人続いて、幕張メッセイベントホールでのエル・カンターレ祭直前に来られて、私も少々消耗した。《中略》
それにしても、こう次々と著名人がおいでになるのをみると、私の霊言集も社会的に認知が広がっているものかと思われる。
本書でも、野坂氏の霊言の内容が私の思想と同じではないことは、読者には分かりやすかったのではないかと思う。
フィクションではないことの証明にはなるだろう。 2015年12月22日 大川隆法
関連記事