2015年04月13日
留学娘の孤独克服法
「智慧を蓄える孤独の時間」(アユハ2015年5月号)より

〈質問〉
私の娘は今、ニューヨークで語学の学校に行きながら、芸術方面の勉強もしていて、自分磨きに頑張っています。しかし、親元を離れていますから、どうしても孤独感に襲われてしまうようです。そんな娘をいつも励ましているのですが、そうした若者たちに対し、異文化のなかで孤独と闘う智慧についてお教えください。
その「孤独感」こそが、実は海外留学のいちばん大事なところだと思うのです。海外へ留学した場合のみならず、仕事で行っても、それは孤独です。その孤独に耐えられない……という人はたくさんいます。壁が破れないとか、人間関係もうまくいかない、という人は多いです。
私も商社に勤めていましたけれども、海外駐在の商社マンの場合は、夜が遅いことが多いので、奥さんや子供がけっこう、家で孤独になっていました。
それで、会社ではそうした“発狂”しそうな状況にしてはいけないということで、女性社員なども、英文科を卒業したような、国際系の人をたくさん採用していました。社内結婚も割にあり、奥さんとして連れていくのですが、たとえば経理部などで、決算期に一カ月ぐらい帰るのが遅くなると、ご近所とのお付き合いなどが無い奥さんのほうが、ちょっと精神的に不安定になり、子供に暴力をふるったりするようなことが、百件に一件ぐらいの率で起きていました。
こうしたことは家族にも起きるし、留学や仕事で行っている本人にも、その孤独感はどうしてもつきまといます。ただ、感触としては、その孤独のなかで、耐え忍ぶ力がついたり、無力感なども味わったりすると思うのです。その人の学力や、社会的な評価などいろいろなものがありますが、こうしたものは、海外へ行ったときには取っ払われてしまうところがあります。
たとえば、うちのお父さんは偉い、といったことが日本では通用しても、海外へ行くと通用しなくなります。また、家が資産家であろうとなかろうと通用しないし、学歴も通用しません。やはり、“裸の個人”として見られるところがあります。その「孤独感」こそ実は、「智慧」を伸ばすチャンスなのです。その孤独に耐えていかなくてはならないのです。
私も恥ずかしながら、以前、商社に勤めていたころに、ニューヨークに赴任して、春ごろ、自由の女神を見ながら、故郷の徳島の菜の花畑が懐かしくて懐かしくて……(会場笑)。普通なら、田舎へ帰ったら退屈してすぐ帰ってくるのに、吉野川の近くの菜の花畑が懐かしくて「トホホホ」という感じになっていました。
すると先輩から、「おまえはバカか」といった感じで、「おまえのような〝かっぺ〟が来るところじゃなかった」というふうに思われ、「何くそ!」と発奮するということもありました。しかし、やはり夜も寂しいし、その状況で勉強を続けるというのは、大変なことだったのです。
そうした孤独のなかで本を読み続けたり、勉強したりするのはつらいもので、駄目になっていく人もたくさんいます。なかには本当に駄目になる人もいて、麻薬に手を出したり、酒浸りになったり、女遊びに走ったりと、破滅的になる人もいます。
それから、仕事で失敗してしまう人や、学業で失敗する人もいます。そういうリスクはあるのですが、その孤独に耐え抜いた方は、人間としては自立していきます。企業家になる場合でも、その精神的な強さが持ち堪える力になるのです。
中小企業などの場合、「自分の子供を後継者に育てたかったら、海外に出せ」とよく言われることがあります。やはりそうした孤独感と無力感のなかで努力して、自分でサバイバルをしなかったら無事には戻れない、という経験を積むことです。
それが実はプラスになって、あとで時間が経ってみると、いちばん懐かしい思い出に変わってくるのです。いちばんつらかった時代が、いちばん懐かしくて、いちばん輝いていた時代に見えてくるから、これが不思議です。そういうものなのです。

〈質問〉
私の娘は今、ニューヨークで語学の学校に行きながら、芸術方面の勉強もしていて、自分磨きに頑張っています。しかし、親元を離れていますから、どうしても孤独感に襲われてしまうようです。そんな娘をいつも励ましているのですが、そうした若者たちに対し、異文化のなかで孤独と闘う智慧についてお教えください。
その「孤独感」こそが、実は海外留学のいちばん大事なところだと思うのです。海外へ留学した場合のみならず、仕事で行っても、それは孤独です。その孤独に耐えられない……という人はたくさんいます。壁が破れないとか、人間関係もうまくいかない、という人は多いです。
私も商社に勤めていましたけれども、海外駐在の商社マンの場合は、夜が遅いことが多いので、奥さんや子供がけっこう、家で孤独になっていました。
それで、会社ではそうした“発狂”しそうな状況にしてはいけないということで、女性社員なども、英文科を卒業したような、国際系の人をたくさん採用していました。社内結婚も割にあり、奥さんとして連れていくのですが、たとえば経理部などで、決算期に一カ月ぐらい帰るのが遅くなると、ご近所とのお付き合いなどが無い奥さんのほうが、ちょっと精神的に不安定になり、子供に暴力をふるったりするようなことが、百件に一件ぐらいの率で起きていました。
こうしたことは家族にも起きるし、留学や仕事で行っている本人にも、その孤独感はどうしてもつきまといます。ただ、感触としては、その孤独のなかで、耐え忍ぶ力がついたり、無力感なども味わったりすると思うのです。その人の学力や、社会的な評価などいろいろなものがありますが、こうしたものは、海外へ行ったときには取っ払われてしまうところがあります。
たとえば、うちのお父さんは偉い、といったことが日本では通用しても、海外へ行くと通用しなくなります。また、家が資産家であろうとなかろうと通用しないし、学歴も通用しません。やはり、“裸の個人”として見られるところがあります。その「孤独感」こそ実は、「智慧」を伸ばすチャンスなのです。その孤独に耐えていかなくてはならないのです。
私も恥ずかしながら、以前、商社に勤めていたころに、ニューヨークに赴任して、春ごろ、自由の女神を見ながら、故郷の徳島の菜の花畑が懐かしくて懐かしくて……(会場笑)。普通なら、田舎へ帰ったら退屈してすぐ帰ってくるのに、吉野川の近くの菜の花畑が懐かしくて「トホホホ」という感じになっていました。
すると先輩から、「おまえはバカか」といった感じで、「おまえのような〝かっぺ〟が来るところじゃなかった」というふうに思われ、「何くそ!」と発奮するということもありました。しかし、やはり夜も寂しいし、その状況で勉強を続けるというのは、大変なことだったのです。
そうした孤独のなかで本を読み続けたり、勉強したりするのはつらいもので、駄目になっていく人もたくさんいます。なかには本当に駄目になる人もいて、麻薬に手を出したり、酒浸りになったり、女遊びに走ったりと、破滅的になる人もいます。
それから、仕事で失敗してしまう人や、学業で失敗する人もいます。そういうリスクはあるのですが、その孤独に耐え抜いた方は、人間としては自立していきます。企業家になる場合でも、その精神的な強さが持ち堪える力になるのです。
中小企業などの場合、「自分の子供を後継者に育てたかったら、海外に出せ」とよく言われることがあります。やはりそうした孤独感と無力感のなかで努力して、自分でサバイバルをしなかったら無事には戻れない、という経験を積むことです。
それが実はプラスになって、あとで時間が経ってみると、いちばん懐かしい思い出に変わってくるのです。いちばんつらかった時代が、いちばん懐かしくて、いちばん輝いていた時代に見えてくるから、これが不思議です。そういうものなのです。
Posted by ケニー爺 at 18:36│Comments(0)
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