2015年08月04日
インドネシア開放・9日で降伏させた今村中将
NHKは、こうゆう日本の英雄伝をこそ放映すべきでしょ!
正しい日本の歴史サイトより
http://rekisi.amjt.net/?p=2754
昭和17年3月1日、オランダにより一方的に止められた石油資源確保を目指し、今村均中将率いる陸軍の主力第16軍はオランダ領インドネシアに上陸。 それまで350年もの長期にわたったオランダのインドネシア支配をわずか9日間の戦闘でオランダ軍を主力とする、イギリス、アメリカ、オーストラリアの連合軍を降伏させた。

【写真】インドネシアの人々から大歓迎を受ける今村中将(最終階級大将)
オランダ軍を打ち破った日本陸軍・今村大将は直ちに軍政を敷き、それまで抑圧されていたインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、投獄されていたインドネシア独立運動の指導者たち(スカルノ等)の釈放、法制度、オランダの愚民化政策で行われていなかった教育制度、イスラム教の制限の撤廃、オランダにより禁止されていた民族共通語としての母国語(インドネシア語)教育、誇りを取り戻すために歴史教育の開始ほか、病院や道路、上水道設備、学校、工場などの様々なインフラ整備を進めたのです。
インドネシア語を公用語にすることで、多言語社会で国家としての統一が取れず、オランダ植民地支配が続き搾取され続けてきたインドネシア人を、団結させることに成功したのである。
そして、インドネシア人指揮官が率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織させ、日本軍政下ではあったものの、インドネシア人がこれまでのオランダ統治下では決して得ることのできなかった権限を与え、軍事教練を行った。終戦までのわずか3年半の日本軍による統治だったが、インドネシア人に教育を施すことにより、自信と誇りと「祖国独立の実現への夢」を与えたのである。
日本の敗戦後、昭和20年8月17日、初代大統領に就任したスカルノは独立を宣言した。
ところが、日本軍に駆逐されたオランダは9月下旬、「日本軍が降伏してしまった現在、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」 と考え、インドネシアの独立宣言を無視してイギリス軍とともに、再度インドネシアを 『 侵略 』 すべくスラバヤに上陸した。
しかし、インドネシア軍はもはや従順ではなかった。日本軍によって訓練され、日本が降伏した後、日本軍が命がけで横流しをしてくれた武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍はたちまち一個師団が全滅してしまう。
インドネシア独立戦争には、旧日本軍兵士 およそ2,000~3,000名が、己の良心、生き様、そして 武士道精神 に基づき、本国の命令を無視、脱走兵の汚名を着ることで故郷に残した家族が肩身の狭い思いをする苦悩をも乗り越え、インドネシア独立のために、命を懸けてペタの中心となって戦ったのである。
スラバヤの市街地を占領するのに100日間も費やしたイギリスは軍事制圧を断念、和平交渉に転じ、1946年11月12日、インドネシア・オランダ間で暫定的な停戦協定が成立するや軍隊を撤退させた。
しかし、スラバヤでの 『侵略戦争』 で、市街地を灰にし、約2万人ものインドネシア人を殺害したことに対してイギリスは、何ら謝罪も補償もしなかったのである。
1947年1月24日、オランダは再びインドネシアに対して軍事行動をしかけた。
オランダ軍は戦車、飛行機、重機関銃など近代装備の部隊約10万人。 インドネシア共和国軍は兵員こそ200万人だったが、武器は日本軍より秘密裡に渡された小銃4万丁と数百の野砲、トラック、弾薬、軍刀ぐらいで、大半の兵士は竹槍を手に立ち向かった。
4年半にもわたる 『オランダ侵略軍』 との戦争で、インドネシア側が払った犠牲は婦女子も含め死者だけで80万人、負傷者は1,000万人を超え、無差別爆撃で失われた財産・家屋の被害額はとても算出できる額ではなかった。
これが、『 東京裁判 』 で裁判官となり、「日本の侵略戦争」 を裁いてきたイギリス、オランダという白人国家の真実の姿なのである。 ちなみに、すべての白人国家は、植民地で行った、侵略、拷問、虐殺、略奪、強奪、強姦、輪姦に関して、何ら謝罪や賠償は行ってはいない。
正しい日本の歴史サイトより
http://rekisi.amjt.net/?p=2754
昭和17年3月1日、オランダにより一方的に止められた石油資源確保を目指し、今村均中将率いる陸軍の主力第16軍はオランダ領インドネシアに上陸。 それまで350年もの長期にわたったオランダのインドネシア支配をわずか9日間の戦闘でオランダ軍を主力とする、イギリス、アメリカ、オーストラリアの連合軍を降伏させた。

【写真】インドネシアの人々から大歓迎を受ける今村中将(最終階級大将)
オランダ軍を打ち破った日本陸軍・今村大将は直ちに軍政を敷き、それまで抑圧されていたインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、投獄されていたインドネシア独立運動の指導者たち(スカルノ等)の釈放、法制度、オランダの愚民化政策で行われていなかった教育制度、イスラム教の制限の撤廃、オランダにより禁止されていた民族共通語としての母国語(インドネシア語)教育、誇りを取り戻すために歴史教育の開始ほか、病院や道路、上水道設備、学校、工場などの様々なインフラ整備を進めたのです。
インドネシア語を公用語にすることで、多言語社会で国家としての統一が取れず、オランダ植民地支配が続き搾取され続けてきたインドネシア人を、団結させることに成功したのである。
そして、インドネシア人指揮官が率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織させ、日本軍政下ではあったものの、インドネシア人がこれまでのオランダ統治下では決して得ることのできなかった権限を与え、軍事教練を行った。終戦までのわずか3年半の日本軍による統治だったが、インドネシア人に教育を施すことにより、自信と誇りと「祖国独立の実現への夢」を与えたのである。
日本の敗戦後、昭和20年8月17日、初代大統領に就任したスカルノは独立を宣言した。
ところが、日本軍に駆逐されたオランダは9月下旬、「日本軍が降伏してしまった現在、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」 と考え、インドネシアの独立宣言を無視してイギリス軍とともに、再度インドネシアを 『 侵略 』 すべくスラバヤに上陸した。
しかし、インドネシア軍はもはや従順ではなかった。日本軍によって訓練され、日本が降伏した後、日本軍が命がけで横流しをしてくれた武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍はたちまち一個師団が全滅してしまう。
インドネシア独立戦争には、旧日本軍兵士 およそ2,000~3,000名が、己の良心、生き様、そして 武士道精神 に基づき、本国の命令を無視、脱走兵の汚名を着ることで故郷に残した家族が肩身の狭い思いをする苦悩をも乗り越え、インドネシア独立のために、命を懸けてペタの中心となって戦ったのである。
スラバヤの市街地を占領するのに100日間も費やしたイギリスは軍事制圧を断念、和平交渉に転じ、1946年11月12日、インドネシア・オランダ間で暫定的な停戦協定が成立するや軍隊を撤退させた。
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Posted by ケニー爺 at 08:04│Comments(0)
│戦争・歴史・政治・経済