2015年10月13日
食物アレルギーの娘が完治した記録
食物アレルギーの娘―必要な栄養は親の愛だった
ボイシーサイトより、抜粋・編集 2015.09.01
http://voicee.jp/2015090111342

Nさん(女性)
長女のMが生後半年の頃。それまでの母乳から、初めて粉ミルクを与えた直後のことです。
ミルクを吐き出し、私の腕の中で息も絶え絶えな愛娘の様子に、すぐさま病院に駆け込みました。
「娘さんは、食物アレルギーのようですね」
私達夫婦はアトピー性皮膚炎を患っていて、Mも生まれた時から肌の弱い子でした。
しかも食物アレルギーを引き起こすと言われる、三大アレルゲン(卵・牛乳・大豆)のすべてに反応すると言うのです。
ミルクをアレルギー疾患用に代え、離乳食の食材も成分表示を見て、慎重に選びます。それでも、一度大丈夫だった食材からもじんましんや湿疹が出てしまうことがあり、安心できません。
食事の30分前には、アレルギーを抑える薬を欠かさず飲ませなくてはなりません。
Mが3歳になると、ようやく医師から「もういいですよ」と、食材の制約が取れました。
私は嬉しくてたまりませんでした。
そんな期待に反し、食卓に初めて出す料理にMは手をつけようともしませんでした。食も細く、幼稚園の小さなお弁当も、いつも残してきます。
この頃は、生まれたばかりの妹のKの面倒をみながら、Mの食事にも気を遣い、正直、数倍手間も時間もかかりました。
「お姉ちゃんなんだから、しっかりしてよ。もうアレルギーを気にしないで、何でも食べられるはずなのに、何で食べないのよ!」
Kが幼稚園に上がり、ある日、幸福の科学の友人にMのことを話してみました。
「あら、それは良かったじゃない!元気だったら、少しくらい食べなくても、病気しないだけでもありがたいわよね」
ドキッとしました。とても大事なことを言われた気がしたのです。
いつものようにお弁当を残してきたことで注意をしたら、「ママは、Kちゃんばっかり!」と、目を真っ赤にして、部屋を飛び出していったMの姿でした。
この時、Mの「寂しい!」という気持ちが私の胸にダイレクトに伝わってきたのです。
「お料理に手をつけなかったのも、Mなりのサインだったのかもしれない。やっぱり寂しかったんだ……」
食べないのはMのワガママだと思っていました。けれど、本当は愛して欲しいことを上手に表せなかったために、私に気持ちを向けて欲しいというサインとして、症状が出ていたのかもしれません。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
私は、医師からOKが出たとたんに、遅れた分を取り戻そうと「あれも食べなさい」「これも食べなさい」と急かせていました。それが子どもへの愛だと思っていたのです。
「Mの中ではまだOKではなかったんだ。Mは、私が手間ひまかけて料理に気を遣うより、側にいて抱きしめて欲しかったんだ。もっともっと愛して欲しかったんだね……」
Mの気持ちが伝わってきて、申し訳ない気持ちがあふれてきました。
私は、Mにきちんと向き合い、愛していることをしっかり表現していこうと思いました。
「Mちゃん、すごいね。今日はいつもより多く食べたのね。がんばったね」
そう口に出して褒めてあげるようにすると、「ママ見て!」と嬉しそうに空のお皿を見せにきてくれるようになりました。
スキンシップを多くすると、Mの表情がハツラツとしてきて、短期間のうちに、みるみる変化が現れてきたのです。
それからは食欲も出てきて、1年生の1学期は給食を残すことも多かったMが、3学期にはほとんど全部食べられるようになったのです。
皮膚症状もどんどん良くなり、時々、唇が腫れることはありますが、激しい症状が現れることはなくなりました。
心をこめてMを愛そうと決意しただけなのにこの変化。親の影響力はすごいものだとつくづく感じます。
Mを見ていると、「子どもは親の愛情をエネルギーとして生きているんだ」と本当に思います。
私は、時間をかけ食事に配慮することで、一生懸命に愛を与えていたつもりでしたが、子どもの気持ちを受け止め思いやってあげてこそ、本当の愛なのだとわかりました。
ボイシーサイトより、抜粋・編集 2015.09.01
http://voicee.jp/2015090111342

Nさん(女性)
長女のMが生後半年の頃。それまでの母乳から、初めて粉ミルクを与えた直後のことです。
ミルクを吐き出し、私の腕の中で息も絶え絶えな愛娘の様子に、すぐさま病院に駆け込みました。
「娘さんは、食物アレルギーのようですね」
私達夫婦はアトピー性皮膚炎を患っていて、Mも生まれた時から肌の弱い子でした。
しかも食物アレルギーを引き起こすと言われる、三大アレルゲン(卵・牛乳・大豆)のすべてに反応すると言うのです。
ミルクをアレルギー疾患用に代え、離乳食の食材も成分表示を見て、慎重に選びます。それでも、一度大丈夫だった食材からもじんましんや湿疹が出てしまうことがあり、安心できません。
食事の30分前には、アレルギーを抑える薬を欠かさず飲ませなくてはなりません。
Mが3歳になると、ようやく医師から「もういいですよ」と、食材の制約が取れました。
私は嬉しくてたまりませんでした。
そんな期待に反し、食卓に初めて出す料理にMは手をつけようともしませんでした。食も細く、幼稚園の小さなお弁当も、いつも残してきます。
この頃は、生まれたばかりの妹のKの面倒をみながら、Mの食事にも気を遣い、正直、数倍手間も時間もかかりました。
「お姉ちゃんなんだから、しっかりしてよ。もうアレルギーを気にしないで、何でも食べられるはずなのに、何で食べないのよ!」
Kが幼稚園に上がり、ある日、幸福の科学の友人にMのことを話してみました。
「あら、それは良かったじゃない!元気だったら、少しくらい食べなくても、病気しないだけでもありがたいわよね」
ドキッとしました。とても大事なことを言われた気がしたのです。
いつものようにお弁当を残してきたことで注意をしたら、「ママは、Kちゃんばっかり!」と、目を真っ赤にして、部屋を飛び出していったMの姿でした。
この時、Mの「寂しい!」という気持ちが私の胸にダイレクトに伝わってきたのです。
「お料理に手をつけなかったのも、Mなりのサインだったのかもしれない。やっぱり寂しかったんだ……」
食べないのはMのワガママだと思っていました。けれど、本当は愛して欲しいことを上手に表せなかったために、私に気持ちを向けて欲しいというサインとして、症状が出ていたのかもしれません。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
私は、医師からOKが出たとたんに、遅れた分を取り戻そうと「あれも食べなさい」「これも食べなさい」と急かせていました。それが子どもへの愛だと思っていたのです。
「Mの中ではまだOKではなかったんだ。Mは、私が手間ひまかけて料理に気を遣うより、側にいて抱きしめて欲しかったんだ。もっともっと愛して欲しかったんだね……」
Mの気持ちが伝わってきて、申し訳ない気持ちがあふれてきました。
私は、Mにきちんと向き合い、愛していることをしっかり表現していこうと思いました。
「Mちゃん、すごいね。今日はいつもより多く食べたのね。がんばったね」
そう口に出して褒めてあげるようにすると、「ママ見て!」と嬉しそうに空のお皿を見せにきてくれるようになりました。
スキンシップを多くすると、Mの表情がハツラツとしてきて、短期間のうちに、みるみる変化が現れてきたのです。
それからは食欲も出てきて、1年生の1学期は給食を残すことも多かったMが、3学期にはほとんど全部食べられるようになったのです。
皮膚症状もどんどん良くなり、時々、唇が腫れることはありますが、激しい症状が現れることはなくなりました。
心をこめてMを愛そうと決意しただけなのにこの変化。親の影響力はすごいものだとつくづく感じます。
Mを見ていると、「子どもは親の愛情をエネルギーとして生きているんだ」と本当に思います。
私は、時間をかけ食事に配慮することで、一生懸命に愛を与えていたつもりでしたが、子どもの気持ちを受け止め思いやってあげてこそ、本当の愛なのだとわかりました。
浅はかだった私のキズ治療法
子供靴が踏切近くに片方だけ落ちてた
風邪のひきはじめの葛根湯は効かない!
幸福の科学信者はアスペルガーが多い!
【奇跡】半身麻痺治る!結石消える!膠原病完治!
続・続・私の病気が治ったワケ!
子供靴が踏切近くに片方だけ落ちてた
風邪のひきはじめの葛根湯は効かない!
幸福の科学信者はアスペルガーが多い!
【奇跡】半身麻痺治る!結石消える!膠原病完治!
続・続・私の病気が治ったワケ!
Posted by ケニー爺 at 18:38│Comments(0)
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