2016年03月05日
「あの世がある」に賭ける損得勘定
嫌だと思っても、死は自分にも確実にやってきますねぇ、でも、それを「あの世に還る・楽しい」ととらえるか、「あの世が無い・怖い」ととらえるかで、この世の生き方が全然変わってくると思うんです。
本当の真実は、人間は、肉体は死んでも心は不滅で、転生輪廻を繰り返し、この世に何回も生まれて来ているのですが、下記のような損得で考えても、「あの世がある」に賭けたほうが得のようですね~。
フランスの哲学者・パスカル『パンセ』
「もし、人が死後の生命の存在を信じていたのに、実はそれが存在しなかったとしても、別に何も損したことにはならない。しかし、死後の生命が存在するにもかかわらず、それを信じなかったために、手に入れそこなったとしたら、もう取り返しがつかない。その人は永久にすべてを失うことになる」
『1000人の患者を看取った医師が実践している傾聴力』大津秀一
米長邦雄
『渡部昇一さん(上智大学名誉教授)が、パスカルの賭けの話について次のように書かれている。「神がないと信じている人が死んだ時、やはり神がなかったとすればそれだけの話である。しかし、もし神があったら怖ろしいことになるであろう。それに反して、神があると信じて生きてきた人が死んだ時、神がなければそれまでの話であるが、もし神があれば至福ではないか。」』
『月刊Will』2012年12月号
~~~~~~~~~~~
ガリレオ・ガリレイ
数学は、神が宇宙を書くためのアルファベットだ。
⇒神の上に科学があるのではなく、科学の上に神があることに気づかされます。
アイザック・ニュートン
目の前には、いまだに手のつけられていない真理の大海が横たわっていた。私は、その浜辺で滑らかな小石やきれいな貝殻を拾い集めていたにすぎない。
⇒ニュートンほどの科学者であっても、これほど謙虚なのかと思い知らされます。
ゴットフリート・ライプニッツ(ドイツの数学者。哲学、物理学など多分野で卓越した業績を残した)
神が存在するとか、あらゆる直角が等しいというようなことは、必然的な真理である。
⇒証明できないものは存在しないなどと主張する無神論者に釘を刺すような言葉です。
ブレーズ・パスカル(フランスの数学者。思想家でもあり、「人間は考える葦である」という言葉が有名)
信仰は証明とは異なる。証明は人間的なものであり、信仰は神の賜物である。
⇒人間的なる「証明」で神を捉えようとするのは傲慢であることを教えられます。
マイケル・ファラデー(電磁気学・電気化学の分野で優れた業績を残したイギリス人科学者)
慈母の頬を流れる涙の中に、科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならぬ。
⇒敬虔なキリスト教徒でもあったファラデー。愛や慈悲など、科学的に分析するのが困難な概念の中に、神仏の御心があると気づかされます。
マリー・キュリー
天から与えられている何ものかに、ぜひとも到達しなければならない。
⇒科学を通して、神が創られた世界を解き明かそうと謙虚に研究し続けたキュリー夫人の姿が浮かび上がります。
アレクシス・カレル(ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの外科医)
祈りは、地球の引力と同じ現実的な力である。医者である私は、人々が、他のあらゆる治療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって病気や憂鬱から救われた例を数多く目撃した。
⇒「ルルドの奇跡」の目撃者でもあったカレル博士の言葉には説得力があります。
アルベルト・アインシュタイン
宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。
⇒宗教と科学は相反するものではなく、共存するべきものという考え方に意表を突かれる人も多いのではないでしょうか。
湯川秀樹
科学がすべてであると思っている人は、科学者として未熟である。
⇒『目に見えないもの』という著作でも知られる湯川博士の信仰観がうかがえる言葉。科学を極めれば極めるほどに、科学では説明できない概念があることを悟ったのかもしれません。
山中伸弥(iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞)
生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と思うようなことがたくさんあります。
⇒生物分野で最先端の研究を続ける現役研究者の言葉だけに、科学が進めば進むほど、神秘を目の当たりにすることを予感させてくれます。(冨)
ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=9010
本当の真実は、人間は、肉体は死んでも心は不滅で、転生輪廻を繰り返し、この世に何回も生まれて来ているのですが、下記のような損得で考えても、「あの世がある」に賭けたほうが得のようですね~。
フランスの哲学者・パスカル『パンセ』
「もし、人が死後の生命の存在を信じていたのに、実はそれが存在しなかったとしても、別に何も損したことにはならない。しかし、死後の生命が存在するにもかかわらず、それを信じなかったために、手に入れそこなったとしたら、もう取り返しがつかない。その人は永久にすべてを失うことになる」
『1000人の患者を看取った医師が実践している傾聴力』大津秀一
米長邦雄
『渡部昇一さん(上智大学名誉教授)が、パスカルの賭けの話について次のように書かれている。「神がないと信じている人が死んだ時、やはり神がなかったとすればそれだけの話である。しかし、もし神があったら怖ろしいことになるであろう。それに反して、神があると信じて生きてきた人が死んだ時、神がなければそれまでの話であるが、もし神があれば至福ではないか。」』
『月刊Will』2012年12月号
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ガリレオ・ガリレイ
数学は、神が宇宙を書くためのアルファベットだ。
⇒神の上に科学があるのではなく、科学の上に神があることに気づかされます。
アイザック・ニュートン
目の前には、いまだに手のつけられていない真理の大海が横たわっていた。私は、その浜辺で滑らかな小石やきれいな貝殻を拾い集めていたにすぎない。
⇒ニュートンほどの科学者であっても、これほど謙虚なのかと思い知らされます。
ゴットフリート・ライプニッツ(ドイツの数学者。哲学、物理学など多分野で卓越した業績を残した)
神が存在するとか、あらゆる直角が等しいというようなことは、必然的な真理である。
⇒証明できないものは存在しないなどと主張する無神論者に釘を刺すような言葉です。
ブレーズ・パスカル(フランスの数学者。思想家でもあり、「人間は考える葦である」という言葉が有名)
信仰は証明とは異なる。証明は人間的なものであり、信仰は神の賜物である。
⇒人間的なる「証明」で神を捉えようとするのは傲慢であることを教えられます。
マイケル・ファラデー(電磁気学・電気化学の分野で優れた業績を残したイギリス人科学者)
慈母の頬を流れる涙の中に、科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならぬ。
⇒敬虔なキリスト教徒でもあったファラデー。愛や慈悲など、科学的に分析するのが困難な概念の中に、神仏の御心があると気づかされます。
マリー・キュリー
天から与えられている何ものかに、ぜひとも到達しなければならない。
⇒科学を通して、神が創られた世界を解き明かそうと謙虚に研究し続けたキュリー夫人の姿が浮かび上がります。
アレクシス・カレル(ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの外科医)
祈りは、地球の引力と同じ現実的な力である。医者である私は、人々が、他のあらゆる治療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって病気や憂鬱から救われた例を数多く目撃した。
⇒「ルルドの奇跡」の目撃者でもあったカレル博士の言葉には説得力があります。
アルベルト・アインシュタイン
宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。
⇒宗教と科学は相反するものではなく、共存するべきものという考え方に意表を突かれる人も多いのではないでしょうか。
湯川秀樹
科学がすべてであると思っている人は、科学者として未熟である。
⇒『目に見えないもの』という著作でも知られる湯川博士の信仰観がうかがえる言葉。科学を極めれば極めるほどに、科学では説明できない概念があることを悟ったのかもしれません。
山中伸弥(iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞)
生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と思うようなことがたくさんあります。
⇒生物分野で最先端の研究を続ける現役研究者の言葉だけに、科学が進めば進むほど、神秘を目の当たりにすることを予感させてくれます。(冨)
ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=9010
☆総裁が語る☆守護霊解説
あの世は生き方に応じた世界
死んだらみんな仏さまになれるってほんと!
霊感風水師のあーりんさんはモノホンだ~!
神様に通じるお祈り、悪霊に通じるお祈り
石ノ森章太郎氏の前世は、美人画の喜多川歌麿
あの世は生き方に応じた世界
死んだらみんな仏さまになれるってほんと!
霊感風水師のあーりんさんはモノホンだ~!
神様に通じるお祈り、悪霊に通じるお祈り
石ノ森章太郎氏の前世は、美人画の喜多川歌麿
Posted by ケニー爺 at 17:36│Comments(0)
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