2016年03月12日
徳川慶喜・大坂城脱出に同行した女性

パニック状態の慶喜が見捨てたもの、拾ったもの
およし・大坂城脱出に同行した女性
人間、追い詰められパニック状態になると、思ってもみなかった、地、が出る。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、大坂城を脱出するときの徳川慶喜も、ここでつい、地、を出してしまったようだ。
前述したとおり、慶喜は大坂城に大事なものを忘れて立ち去っている。十八万両もの金に重要書類、さらには大将のシンボルである大金扇の馬印である。
これらを置き去りにして、慶喜が船に一緒に乗り込ませたのは、女である。この女は名を、およしといい、江戸の町火消の親分・新門辰五郎の娘だった。慶喜の愛妾であり、京都出張妻、のようなものだ。このおよしを慶喜は、江戸へ向かう船の中に紛れ込ませたのである。
これは、当時の武士の、常識、からすれば、何とも情けない話である。武士の体面を傷つけるような忘れ物ばかりして、そのくせ女のこととなると、ちゃっかりしている。こんな上司をもっては、部下もいたたまれない。
たしかに慶喜のこの行動は誇りある武士にとっては許せない行動だろうが、別の見方もある。慶喜が女を優先したのは、レディファーストをとるというあるべき行動だったし、金扇の馬印などという体面を気にしない、合理主義者、という見方もできる。いずれにせよ、慶喜は名誉よりも女性を大事にする、地、をもっていたようである。
さて、ここに登場するおよしだが、歴史上はこの大坂城脱出のシーンにちらりと登場するだけである。慶喜との出会いとか、彼女の気性、愛の生活、についてはまったくデータがない。
ただ推察できるのは、慶喜が江戸で見つけ、京都で奮闘している間中、愛妾のような存在であり続けただろうということだ。慶喜にとって、大事な女、だったからこそ、大坂城脱出という場面でも、彼女を連れていったのである。
もちろん、およしの父親が町火消の親分・新門辰五郎であることも、慶喜にとっては大きかったはずだ。町火消というのは、今のようにホースをもって放水するのが仕事ではない。火事が広がるのを防ぐため、家を壊すのが仕事だ。だから火消には気性の荒い腕自慢の男が集まる。そんな男たちを束ねる辰五郎は、慶喜にとって、義父、として頼もしい存在だ。
実際、慶喜が忘れた大金扇の馬印は辰五郎が回収し、彼は郎党とともにこの馬印をかついで江戸へ突っ走っている。こんな馬力のある男の娘だから、いい加減には扱えなかったのだろう。
あまりに惨めな逃避行劇
だが、いくら慶喜が大切にしている女であれ、軍艦に女性を連れ込んだことは大きな波紋を呼んだ。《中略》
慶喜にすれば、なんともバツの悪い船中だったはずだ。政権の放棄に対しても白い目で見られるわ、女性のことで後ろ指をさされるわで、慶喜の惨めさがこの船旅に象徴されていた。
さらに、この船旅は船生活を営む上でも快適なものではなかったようだ。「ついて来い」と慶喜にいわれ、急に同行させられた松平容保などは、ちり紙の用意さえしていなかった。
そこで彼は侍医に恥をしのんで、紙を借りたという。とにかく急ぎの出航のため、船旅の用意は誰もしていなかったのだ。
船のほうは船のほうで、食量もさして積んでいない。老中の板倉勝静なども食べる物がなく困っている。それでも伊豆の下田まで行けば、魚くらい手に入るだろうと思っていたら、下田沖はシケである。惨めな逃避行の上に腹も空いていたのでは、何の気力もわこうはずがない。こうして江戸に着く頃には、慶喜一行は心身ともにボロボロの敗者になっていた。
ちなみにおよしについては、その後の資料では慶喜の謹慎先・駿府まではついていったようである。だが、その先のことはわかっていない。慶喜と別れることになったのか、死んでしまったのか。一説には、新潟方面へ誰かと駆け落ちしてしまったともいわれている。いずれにせよ、彼女は慶喜のパニックを見た唯一の女といっていいだろう。
【書籍】幕末維新40人で読むほんとうの徳川慶喜
最後の将軍とその時代がわかる事典 加来 耕三 (監修)より、抜粋・編集
星の王子さま・大切なものは、目に見えない
心臓の全ての動脈詰まっていても生きてた総裁
WiLL10月号でヒロシ氏の噓に反論!
10年の時を経て、ついに解禁される書籍!
人気!インド・日本人向けフリーペーパー:月刊チャロ
自家野菜の写真で自画像(爆)
心臓の全ての動脈詰まっていても生きてた総裁
WiLL10月号でヒロシ氏の噓に反論!
10年の時を経て、ついに解禁される書籍!
人気!インド・日本人向けフリーペーパー:月刊チャロ
自家野菜の写真で自画像(爆)
Posted by ケニー爺 at 03:41│Comments(0)
│書籍・CD・文化・芸術・雑誌・漫画