2016年06月08日
ドラマ・お迎えデス。霊子線や幽体離脱がバンバン登場
ただ、ドラマでは肉体と体外へ出た魂とがつながっている霊子線の距離に制限があったり、太さによって生きられる時間が変わってくる、という設定ですが、真実は、そのような事は無く、遠くに行くほど霊子線の太さは細くなるようではありますが、心臓停止後数時間から約24時間経ちますと、肉体と魂とをつなぐシルバー・コード(霊子線)が切れるそうでして、そのときが本当の死のようですね。
日本テレビ系「お迎えデス。」毎週土午後9時から
http://www.ntv.co.jp/omukaedesu/index.html

死んだらどうなる!? 2004.04.01
脳死臓器移植は何が問題か ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
http://the-liberty.com/article.php?pageId=5&item_id=54
(1)肉体からの魂の離脱が死の瞬間。脳死の状態は肉体と魂が密着している
脳死臓器移植の何が問題なのか、改めて整理したい。
まず、死の瞬間について間違いがある点だ。脳死は臓器としての脳の機能喪失であって、人の死ではない。本当の死は、心臓停止後数時間から約24時間経ち、肉体と魂とをつなぐシルバー・コード(霊子線)が切れたときにほかならない。
『永遠の生命の世界』にはこう書かれている。
「(脳死であっても)『まだ心臓が動いており、血流があって、体が温かい状態においては、魂は、まだ肉体から離れておらず、生きようと努力している』というのが真相なのです」(149ページ)
こうした肉体と魂が密着している脳死の段階で、臓器を取り出されるとき、さまざまな混乱が起きる。
(2)臓器提供者があの世へ安らかに旅立つ権利を侵害される
その最も深刻なものが、臓器提供者があの世へ安らかに旅立つ権利が侵害されるという問題だ。
臓器摘出時に臓器提供者が頻繁に手を動かしたり、血圧が急上昇したりするのは、生体解剖されるのと同じような激痛を感じているためだ。その結果、スムーズにあの世へと旅立てなくなる。
霊的な目から見て、本来の世界、魂のふるさとであるあの世に還ることは、人間にとって大切な幸福の一つ。逆にそれができず、この世で迷うのは大きな不幸と言えるだろう(自殺した場合も含まれる)。脳死臓器移植は、そうした不幸を引き起こすのだ。
(3)臓器提供者の魂が被移植者に憑依し人格変化や不幸を起こすこともある
さらに、あの世に旅立てなかった臓器提供者の魂は、被移植者に憑依し、人格変化やその家庭で不幸を起こすことも少なくない。
それは被移植者に、「何とかして生き延びたい」というこの世の生存への強い執着があり、臓器提供者の魂と同調していることにも原因がある。
「この世がすべて」という考えに立つならば、どんな手段を用いても自分の命を長らえさせたり、重病の人の命を助けることはうなずけなくはない。
しかし、私たちが生きるのは、この世だけではない。肉体を去った、まさに永遠の生命の世界で魂として生き続ける存在でもあるのだ。
(4)現代の医学は未熟な段階にある
脳死臓器移植を推進する医師らは「脳死者は死んでいるのだから、臓器移植すれば助かる患者を救うべきだ」と考えている。確かに重病人の命を助けるのが医療の使命ではあろう。しかし、「死ねば何もかも終わり」と唯物論的に考え、機械の部品を付け替えるように移植を行う現状では、これまで見てきたように、臓器提供者の魂ばかりか、救おうとしているはずの被移植者をも苦しめることになる。
肉体と魂の関係を解き明かせていないという意味で、現代医学はまだまだ未熟な段階にある。移植医療の関係者はそれを謙虚に受け入れる必要があるだろう。
臓器移植法の見直しにあたっても、「人間の死とは何か」という根本問題を避けて通ることはできない。「人間は肉体は死んでも意識はあり、永遠の生命をもって転生輪廻を繰り返しながら魂修行する存在である」という霊的真実に目を向けたとき、私たちは脳死臓器移植という医療が持つ問題を乗り越えていくことができるはずだ。
脳死臓器移植が「正しい布施」となる条件とは──
『永遠の生命の世界』のあとがきでは、正しい布施の条件である仏教の三輪清浄の教えに触れて、臓器移植が認められる条件について次のように指摘している。
「臓器提供者が仏法真理を学び愛の心で与えたいと思うこと、受者も深く真理を理解しつつ、感謝すること、臓器取引に違法性や金銭対価を伴わないこと、などを前提として正しい布施が成り立つ」(224ページ)。
加えて同書の本文では、臓器提供者は臓器摘出時の激痛に耐える覚悟が必要になることも指摘されている。
日本テレビ系「お迎えデス。」毎週土午後9時から
http://www.ntv.co.jp/omukaedesu/index.html

死んだらどうなる!? 2004.04.01
脳死臓器移植は何が問題か ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
http://the-liberty.com/article.php?pageId=5&item_id=54
(1)肉体からの魂の離脱が死の瞬間。脳死の状態は肉体と魂が密着している
脳死臓器移植の何が問題なのか、改めて整理したい。
まず、死の瞬間について間違いがある点だ。脳死は臓器としての脳の機能喪失であって、人の死ではない。本当の死は、心臓停止後数時間から約24時間経ち、肉体と魂とをつなぐシルバー・コード(霊子線)が切れたときにほかならない。
『永遠の生命の世界』にはこう書かれている。
「(脳死であっても)『まだ心臓が動いており、血流があって、体が温かい状態においては、魂は、まだ肉体から離れておらず、生きようと努力している』というのが真相なのです」(149ページ)
こうした肉体と魂が密着している脳死の段階で、臓器を取り出されるとき、さまざまな混乱が起きる。
(2)臓器提供者があの世へ安らかに旅立つ権利を侵害される
その最も深刻なものが、臓器提供者があの世へ安らかに旅立つ権利が侵害されるという問題だ。
臓器摘出時に臓器提供者が頻繁に手を動かしたり、血圧が急上昇したりするのは、生体解剖されるのと同じような激痛を感じているためだ。その結果、スムーズにあの世へと旅立てなくなる。
霊的な目から見て、本来の世界、魂のふるさとであるあの世に還ることは、人間にとって大切な幸福の一つ。逆にそれができず、この世で迷うのは大きな不幸と言えるだろう(自殺した場合も含まれる)。脳死臓器移植は、そうした不幸を引き起こすのだ。
(3)臓器提供者の魂が被移植者に憑依し人格変化や不幸を起こすこともある
さらに、あの世に旅立てなかった臓器提供者の魂は、被移植者に憑依し、人格変化やその家庭で不幸を起こすことも少なくない。
それは被移植者に、「何とかして生き延びたい」というこの世の生存への強い執着があり、臓器提供者の魂と同調していることにも原因がある。
「この世がすべて」という考えに立つならば、どんな手段を用いても自分の命を長らえさせたり、重病の人の命を助けることはうなずけなくはない。
しかし、私たちが生きるのは、この世だけではない。肉体を去った、まさに永遠の生命の世界で魂として生き続ける存在でもあるのだ。
(4)現代の医学は未熟な段階にある
脳死臓器移植を推進する医師らは「脳死者は死んでいるのだから、臓器移植すれば助かる患者を救うべきだ」と考えている。確かに重病人の命を助けるのが医療の使命ではあろう。しかし、「死ねば何もかも終わり」と唯物論的に考え、機械の部品を付け替えるように移植を行う現状では、これまで見てきたように、臓器提供者の魂ばかりか、救おうとしているはずの被移植者をも苦しめることになる。
肉体と魂の関係を解き明かせていないという意味で、現代医学はまだまだ未熟な段階にある。移植医療の関係者はそれを謙虚に受け入れる必要があるだろう。
臓器移植法の見直しにあたっても、「人間の死とは何か」という根本問題を避けて通ることはできない。「人間は肉体は死んでも意識はあり、永遠の生命をもって転生輪廻を繰り返しながら魂修行する存在である」という霊的真実に目を向けたとき、私たちは脳死臓器移植という医療が持つ問題を乗り越えていくことができるはずだ。
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「臓器提供者が仏法真理を学び愛の心で与えたいと思うこと、受者も深く真理を理解しつつ、感謝すること、臓器取引に違法性や金銭対価を伴わないこと、などを前提として正しい布施が成り立つ」(224ページ)。
加えて同書の本文では、臓器提供者は臓器摘出時の激痛に耐える覚悟が必要になることも指摘されている。
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Posted by ケニー爺 at 05:59│Comments(0)
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