2015年08月06日
中国行き台風・量産中!ムーポセイドン
フィリピンを襲った最大瞬間風速105メートル、被災者1000万人の史上最大級の台風30号・ハイエンを操った巨大神霊・ムーポセイドンは、「中国内陸部も浄化したいので、中国行きの台風を量産している。」と語っていますので、その兆候が出始めてきている気がしますね。
今回の、台風13号はそんなコースをとりそうですね。

【書籍】フィリピン巨大台風の霊的真相を探る
天変地異に込められた「海神」からのシグナルより

今回の、台風13号はそんなコースをとりそうですね。

【書籍】フィリピン巨大台風の霊的真相を探る
天変地異に込められた「海神」からのシグナルより

2015年08月06日
マイケル・ジャクソンは天国に行った
夏にすることは・・♪読書~がお好きでしょ♪(笑)
皆さんご存知のように、松尾芭蕉の過去世は杜甫でもありましたね~。
ピカソの過去世がミケランジェロのように、芸術家は芸術家としての転生が多いようではあります。
「限りある命のなかに悠久の生命を発見する」それが芸術の本質、ということで、これは、音楽も同じですよね~。現在も残っている普遍の音楽は、バッハやヘンデル、モーツァルトなど、宗教曲がほとんどですね、神への賛歌ですよ、坂本龍一さ~ん(笑)
ちなみに、バッハやヘンデル、ハイドン、マーラーは八次元の如来界。ピカソ、ショパンは七次元上々段階の梵天界。七次元上段界の菩薩界には、モーツァルト、ワーグナー、ビバルディ、ブーニン、山下清が、い、いるんだなあ(笑)下段界には、ベートーベン。六次元光明界には、シューベルト、チャイコフスキー、ブラームス、ブルックナーなどがおられるようですね~。あの、マイケル・ジャクソンも、菩薩界に行かれたようです。

【書籍】大川咲也加の「文学のすすめ」~日本文学編~より
http://www.amazon.co.jp/dp/B00VWH364W
荒海や 佐渡に横たふ 天の川
芭蕉 これは宗教的なる悟りでもあろうかと思うのです。 いま、あなたがたも、瞑想など、いろいろなことをやっていると思いますが、結局、人間は、自然を見つめるなかに、「どれだけ、この五尺の体から抜け出すことができたか」ということが、その人の大きさにもなると思うのです。 大自然の心を詠み、佐渡の心を詠む。また、天の川の心を詠む。その奥に神仏の心がある。
過去、幾百年にわたって、流人を受け入れてきた、この佐渡という島。そこに、宗教的なる魂のふるさとを感じ、また、わが魂魄の、とどまるところなく漂泊していく思いを感じた。
漂泊せる魂は、佐渡の地に、しばしとどまり、やがて、佐渡の地から離れ、無限の彼方へと立ち昇ってゆくのであろう。佐渡に漂った魂が、無限の彼方へ、無限の空へと立ち昇ってゆき、やがて、あの天の川のなかに消えてゆくであろう。
悠久の天の川にあっては、この日本という国の小さな島にあった、人間の生業、人間の栄枯盛衰、成功と失敗、繁栄と悲惨、こうした人間の人生、人生の歴史、そうした悲しみがまた、大いなる星の世界のなかにおいて、結晶せる涙のごとく、キラキラと輝いてゆく。
佐渡が象徴しているものは人間の営みの悲しさです。天の川が象徴しているものは悠久の世界、無限の世界です。無限のなかにあって、有限なるものの切なさ、哀れさ、これを私は言いたかった。
佐渡の海は荒れています。荒れている海は人生そのものです。有限と無限、悠久と朽ちていくものの対比。このなかに神の世界がある。仏の心がある。こうした宗教的なる真理を、私は句のなかに詠み込んだのです。
「佐渡に横たふ」とは、まさしく擬人的表現でもあろうかと思いますが、夜、黒々と見える島の姿が、人間の死を思わせるかのようです。
病に伏せって横たわっている人間をも思わせます。
佐渡に横たわって大空を見上げれば、遙かな昔から輝く星々が光っているのです。
こうした永遠を感じるときに、人間は人生のはかなさを知るのです。ここに芸術の発端があると言ってもよいでしょう。芸術の究極があると言ってもよいでしょう。
芸術の究極は、結局のところ、「有限なる世界に生きているものが、そのなかにおいて、無限なるものを発見する」ということです。
「限りある命のなかに悠久の生命を発見する」ということです。 それが芸術の本質にほかならないのです。
『大川隆法霊言全集 第39巻』
俳句という「五・七・五」の定型に神仏の心を詠み込み、日本文化の芸術性を高めた松尾芭蕉は、現在、天上界の七次元菩薩界に還られています。
皆さんご存知のように、松尾芭蕉の過去世は杜甫でもありましたね~。
ピカソの過去世がミケランジェロのように、芸術家は芸術家としての転生が多いようではあります。
「限りある命のなかに悠久の生命を発見する」それが芸術の本質、ということで、これは、音楽も同じですよね~。現在も残っている普遍の音楽は、バッハやヘンデル、モーツァルトなど、宗教曲がほとんどですね、神への賛歌ですよ、坂本龍一さ~ん(笑)
ちなみに、バッハやヘンデル、ハイドン、マーラーは八次元の如来界。ピカソ、ショパンは七次元上々段階の梵天界。七次元上段界の菩薩界には、モーツァルト、ワーグナー、ビバルディ、ブーニン、山下清が、い、いるんだなあ(笑)下段界には、ベートーベン。六次元光明界には、シューベルト、チャイコフスキー、ブラームス、ブルックナーなどがおられるようですね~。あの、マイケル・ジャクソンも、菩薩界に行かれたようです。

【書籍】大川咲也加の「文学のすすめ」~日本文学編~より
http://www.amazon.co.jp/dp/B00VWH364W
荒海や 佐渡に横たふ 天の川
芭蕉 これは宗教的なる悟りでもあろうかと思うのです。 いま、あなたがたも、瞑想など、いろいろなことをやっていると思いますが、結局、人間は、自然を見つめるなかに、「どれだけ、この五尺の体から抜け出すことができたか」ということが、その人の大きさにもなると思うのです。 大自然の心を詠み、佐渡の心を詠む。また、天の川の心を詠む。その奥に神仏の心がある。
過去、幾百年にわたって、流人を受け入れてきた、この佐渡という島。そこに、宗教的なる魂のふるさとを感じ、また、わが魂魄の、とどまるところなく漂泊していく思いを感じた。
漂泊せる魂は、佐渡の地に、しばしとどまり、やがて、佐渡の地から離れ、無限の彼方へと立ち昇ってゆくのであろう。佐渡に漂った魂が、無限の彼方へ、無限の空へと立ち昇ってゆき、やがて、あの天の川のなかに消えてゆくであろう。
悠久の天の川にあっては、この日本という国の小さな島にあった、人間の生業、人間の栄枯盛衰、成功と失敗、繁栄と悲惨、こうした人間の人生、人生の歴史、そうした悲しみがまた、大いなる星の世界のなかにおいて、結晶せる涙のごとく、キラキラと輝いてゆく。
佐渡が象徴しているものは人間の営みの悲しさです。天の川が象徴しているものは悠久の世界、無限の世界です。無限のなかにあって、有限なるものの切なさ、哀れさ、これを私は言いたかった。
佐渡の海は荒れています。荒れている海は人生そのものです。有限と無限、悠久と朽ちていくものの対比。このなかに神の世界がある。仏の心がある。こうした宗教的なる真理を、私は句のなかに詠み込んだのです。
「佐渡に横たふ」とは、まさしく擬人的表現でもあろうかと思いますが、夜、黒々と見える島の姿が、人間の死を思わせるかのようです。
病に伏せって横たわっている人間をも思わせます。
佐渡に横たわって大空を見上げれば、遙かな昔から輝く星々が光っているのです。
こうした永遠を感じるときに、人間は人生のはかなさを知るのです。ここに芸術の発端があると言ってもよいでしょう。芸術の究極があると言ってもよいでしょう。
芸術の究極は、結局のところ、「有限なる世界に生きているものが、そのなかにおいて、無限なるものを発見する」ということです。
「限りある命のなかに悠久の生命を発見する」ということです。 それが芸術の本質にほかならないのです。
『大川隆法霊言全集 第39巻』
俳句という「五・七・五」の定型に神仏の心を詠み込み、日本文化の芸術性を高めた松尾芭蕉は、現在、天上界の七次元菩薩界に還られています。