2015年03月31日
本当は死が怖い!NHKBS・立花隆氏
立花隆氏がNHK・BSの番組で「死が怖くなくなった」臨死体験は脳の作用ではない
ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
ジャーナリストの立花隆氏が、臨死体験について世界の研究者を訪ねながら、最新の研究成果を紹介していく様子をまとめた、「シリーズ 死ぬとき心はどうなるのか 立花隆“臨死体験"を追う」がNHKのBS1で、24~26日の3夜連続で放送された。昨年、NHK総合で放送された「死ぬとき心はどうなるのか」に未公開映像を加え、再編集されたものだ。
番組では、臨死体験が、最新の脳科学の研究により、脳の働きで説明ができるとした。例えば、臨死体験をした人の多くが、体験中に強い幸福感を感じるのは、死に瀕するときに脳内の辺縁系と呼ばれる部分が化学物質を大量に出すからであり、また、体外離脱の感覚は、脳内の側頭葉が刺激を受けたときに生じやすいという。自分の意思で夢の内容を操ることができる、明晰夢という夢についても触れ、臨死体験はこの明晰夢に近いとした。
しかし、脳の働きで説明できない臨死体験や神秘体験の事例はたくさんある。脳神経外科の世界的権威であるエベン・アレグザンダー医師は、自身の臨死体験の中で、その存在も知らなかった生き別れた妹と会ったという。また、ある男性は、手術中、医師の行動を見たと証言しており、その内容は手術室からは知る由もない情報だった。
最新の科学の知見を追うのは興味深いが、結論として、「死後の世界があるのかないのかは分からない」というところで終わっているところが残念だ。
番組のおわりに、立花氏は、臨死体験の調査を通じて「死が怖くなくなった」と語った。確かに、死の瞬間に限れば、脳内の化学物質により幸福感を感じることが分かったから、本当にそう思ったのかもしれない。しかし、死後に待っているものが、あの世なのか、無なのか。これについて明確な答えがないまま、「死は怖くない」というのは、強がりのように聞こえる。
あの世はあるか、ないか、結論はどちらかだ。あの世の存在を信じ、死後は天国に行きたいと願い、思いや行動を整えて生きるか。あの世はないと信じて、生きるか。「死への恐怖」が気になる立花氏はそろそろ、あらゆる臨死体験を合理的に説明できる「死後の世界」の存在を認めるべきだ。(居)
ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
ジャーナリストの立花隆氏が、臨死体験について世界の研究者を訪ねながら、最新の研究成果を紹介していく様子をまとめた、「シリーズ 死ぬとき心はどうなるのか 立花隆“臨死体験"を追う」がNHKのBS1で、24~26日の3夜連続で放送された。昨年、NHK総合で放送された「死ぬとき心はどうなるのか」に未公開映像を加え、再編集されたものだ。
番組では、臨死体験が、最新の脳科学の研究により、脳の働きで説明ができるとした。例えば、臨死体験をした人の多くが、体験中に強い幸福感を感じるのは、死に瀕するときに脳内の辺縁系と呼ばれる部分が化学物質を大量に出すからであり、また、体外離脱の感覚は、脳内の側頭葉が刺激を受けたときに生じやすいという。自分の意思で夢の内容を操ることができる、明晰夢という夢についても触れ、臨死体験はこの明晰夢に近いとした。
しかし、脳の働きで説明できない臨死体験や神秘体験の事例はたくさんある。脳神経外科の世界的権威であるエベン・アレグザンダー医師は、自身の臨死体験の中で、その存在も知らなかった生き別れた妹と会ったという。また、ある男性は、手術中、医師の行動を見たと証言しており、その内容は手術室からは知る由もない情報だった。
最新の科学の知見を追うのは興味深いが、結論として、「死後の世界があるのかないのかは分からない」というところで終わっているところが残念だ。
番組のおわりに、立花氏は、臨死体験の調査を通じて「死が怖くなくなった」と語った。確かに、死の瞬間に限れば、脳内の化学物質により幸福感を感じることが分かったから、本当にそう思ったのかもしれない。しかし、死後に待っているものが、あの世なのか、無なのか。これについて明確な答えがないまま、「死は怖くない」というのは、強がりのように聞こえる。
あの世はあるか、ないか、結論はどちらかだ。あの世の存在を信じ、死後は天国に行きたいと願い、思いや行動を整えて生きるか。あの世はないと信じて、生きるか。「死への恐怖」が気になる立花氏はそろそろ、あらゆる臨死体験を合理的に説明できる「死後の世界」の存在を認めるべきだ。(居)
2015年03月31日
モーツァルトのいない社会が好き?
格差なしではモーツァルトは音楽家になれなかった
【鈴木真実哉のHSU流・経済塾(1)】
2015.03.29 ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
経済学者 鈴木真実哉氏に、経済の諸問題について話を聞いていく。
今回のポイント
• 「分配」ばかりを考え「創出」を考えない経済学に注意
• 「高度な文化」と「富裕層の存在」の密接な関係
• 富を持つ企業家には、もともと大きな責任や義務がある
ピケティ理論はマルクスの資本論と同じ
――資本主義では経済格差が生まれます。そのことを問題視したフランスの経済学者トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』が売れています。この著作の問題点は何ですか?
鈴木真実哉: ピケティは、「所得や資産に重税を課し、富を分配することで、格差を無くしていこう」という考えを持っています。自身はマルクスの影響を否定していますが、ピケティ理論の結論はマルクスと何ら変わりません。
彼らは富の「分配」のことばかりを考えています。しかし、誰かが富を「創出」しない限り、いつか枯渇します。そうなれば、分配さえできなくなります。だから、社会主義や共産主義で豊かになった国は存在しないのです。
経済大国は必ず文化大国になる
鈴木: また、ピケティは現在の経済を、フランスで19世紀末から20世紀初頭にかけて格差が拡大した時代で「悪い時代」であるかのような言い方をしています。
しかし、その時代は、パリを中心に富裕層が大活躍し、平和と豊かさが享受され、文化が花開いた時代でもありました。
「人々が経済的に豊かになるからこそ、文化も生まれる」ということです。金銭的な格差があっても、富裕層がパトロンとして、音楽や芸術、文化を生む人たちに財政支援を行うことで、一般大衆もその恩恵を受けることができます。経済大国は必ず文化大国になるのです。
音楽家のモーツァルトが良い例でしょう。モーツァルトが生まれた18世紀のオーストリアは、世界でも有数の富を築いていた名門貴族のハプスブルグ家が治めていました。彼らがパトロンとなって、音楽活動に専念するモーツァルトを養っていたのです。
もしモーツァルトが貧困地帯に生まれ、音楽と縁のない環境で一生を送ったならば、彼の名曲も生まれなかったはずです。これは音楽の才能を発揮できないという点で、モーツァルトにとって不幸なことですが、彼の名曲を何一つ聞けないという点で、人類にとっても大きな不幸でしょう。
今、財政難で苦しむオーケストラ楽団は多いですが、それは興行収入で運営しているからです。こうした芸術などの文化を通じて、人間の心や精神を癒やせる人たちを金銭的に支援できるのが富裕層なのです。ですから、格差を否定することは文化や文明を否定することにつながるのです。
マイクロソフトを例に考えると、創業者であるビル・ゲイツと一般社員との間で、大きな所得格差があるのは当然のことです。
家族を含めれば20万から30万人の人の生活を支えています。マイクロソフトが倒産したら、アメリカ政府が社会保障をしなくてはいけないわけです。多くの富を手に入れた人には元々、それだけの責任や義務があるのです。(次回へ続く)
【鈴木真実哉のHSU流・経済塾(1)】
2015.03.29 ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集
経済学者 鈴木真実哉氏に、経済の諸問題について話を聞いていく。
今回のポイント
• 「分配」ばかりを考え「創出」を考えない経済学に注意
• 「高度な文化」と「富裕層の存在」の密接な関係
• 富を持つ企業家には、もともと大きな責任や義務がある
ピケティ理論はマルクスの資本論と同じ
――資本主義では経済格差が生まれます。そのことを問題視したフランスの経済学者トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』が売れています。この著作の問題点は何ですか?
鈴木真実哉: ピケティは、「所得や資産に重税を課し、富を分配することで、格差を無くしていこう」という考えを持っています。自身はマルクスの影響を否定していますが、ピケティ理論の結論はマルクスと何ら変わりません。
彼らは富の「分配」のことばかりを考えています。しかし、誰かが富を「創出」しない限り、いつか枯渇します。そうなれば、分配さえできなくなります。だから、社会主義や共産主義で豊かになった国は存在しないのです。
経済大国は必ず文化大国になる
鈴木: また、ピケティは現在の経済を、フランスで19世紀末から20世紀初頭にかけて格差が拡大した時代で「悪い時代」であるかのような言い方をしています。
しかし、その時代は、パリを中心に富裕層が大活躍し、平和と豊かさが享受され、文化が花開いた時代でもありました。
「人々が経済的に豊かになるからこそ、文化も生まれる」ということです。金銭的な格差があっても、富裕層がパトロンとして、音楽や芸術、文化を生む人たちに財政支援を行うことで、一般大衆もその恩恵を受けることができます。経済大国は必ず文化大国になるのです。
音楽家のモーツァルトが良い例でしょう。モーツァルトが生まれた18世紀のオーストリアは、世界でも有数の富を築いていた名門貴族のハプスブルグ家が治めていました。彼らがパトロンとなって、音楽活動に専念するモーツァルトを養っていたのです。
もしモーツァルトが貧困地帯に生まれ、音楽と縁のない環境で一生を送ったならば、彼の名曲も生まれなかったはずです。これは音楽の才能を発揮できないという点で、モーツァルトにとって不幸なことですが、彼の名曲を何一つ聞けないという点で、人類にとっても大きな不幸でしょう。
今、財政難で苦しむオーケストラ楽団は多いですが、それは興行収入で運営しているからです。こうした芸術などの文化を通じて、人間の心や精神を癒やせる人たちを金銭的に支援できるのが富裕層なのです。ですから、格差を否定することは文化や文明を否定することにつながるのです。
マイクロソフトを例に考えると、創業者であるビル・ゲイツと一般社員との間で、大きな所得格差があるのは当然のことです。
家族を含めれば20万から30万人の人の生活を支えています。マイクロソフトが倒産したら、アメリカ政府が社会保障をしなくてはいけないわけです。多くの富を手に入れた人には元々、それだけの責任や義務があるのです。(次回へ続く)