2015年12月19日

【書籍】「ブッダは実在しない」島田は宗教学者落第生

島田裕巳の衝撃作『ブッダは実在しない』 「八正道に魅力ない」から?
有料記事のため大幅抜粋・編集  2015.11.13
http://the-liberty.com/article.php?pageId=2&item_id=10456

「葬式など要らない」という主張で波紋を呼んだ「0葬」の著者・島田裕巳氏が、まさに一線を越えた新著を出した。『ブッダは実在しない』(角川新書)だ。
記者は当初、「編集者が極端なタイトルをつけたんだろう」と思い手に取ったが、そうではなかった。

ブッダもその教えも「想像の産物」?
「ブッダが想像の産物であるならば、その教えも同様に想像の産物である。ブッダも存在しなければ、その教えも存在しないのである」
島田氏は本文で、"である"と断言してしまっている。

その根拠は次のようなもの。
島田氏は、「ブッダ」という言葉が名前でなく「悟りたる者」という一般名詞であることや、仏典が変化しながら後世に伝播する過程が、一人の人物の思想から端を発しているように見えないということ、歴史上のブッダが存在した明確な証拠がないことなどを、宗教学者の様々な仮説を組み合わせながら紹介する。

そして、ブッダといわれるような人物が複数いて、時代を経るにつれて、その教えや伝承が、一人の人物として集約され、ブッダが生まれたと結論付ける。

結局、教えの価値が分からないから……

なぜ島田氏は、このような説を持ち出したのか。
こうした類の説は、最初に直感的な「仮説」を設定して、それを論証するために、様々な情報や学説を、パッチワークのように組み合わせてつくられる。
島田氏が「ブッダはいなかった」ということを"証明"するために、情報を集めた動機があるはずだ。同氏は、その動機と思わせる衝撃の告白を、著書の中でしている。

「四諦八正道や十二縁起説に示されたブッダの教えに、いったいどれだけの価値があるのかということについては、実は疑問を感じざるを得ないのではないだろうか。少なくとも、四諦八正道や十二縁起説について説明されたとき、私たちはそれを聞いて、あるいはそれを読んで、衝撃を受けることもなければ、それに強い魅力を感じたりすることもない」

島田氏は、ブッダの教えを宗教学者として研究しても、その味が分からなかった。そのモヤモヤ感を、「ブッダは実在しない」説としてぶつけた可能性が高い。

「信仰なき知識はガラクタ」
なぜ島田氏は、一般的な仏教徒よりも仏教に詳しいはずなのに、その価値が分からなかったのだろうか。

大川隆法・幸福の科学総裁は、「正しい信仰」がなければ八正道は実践できないと説いている。当然、実践しなければ、その味は分からない。

また大川総裁は、著書『仏教学から観た「幸福の科学」分析』の中で、もう亡くなっている2人の著名な仏教学者、中村元氏と渡辺照宏氏の心境の違いを比較している。

両者の霊言を比較した後、大川総裁は「信仰心のない人の知識はガラクタ」と結論付けた。

島田氏が、昔の仏教徒以上に仏典に触れているにも関わらず、仏教を理解できなかったのは、信仰心という前提が無かったからだろう。

仏教界全体にも言える問題

この問題は、現在の仏教界全般にも言える。

日本の仏教信仰最盛期に比べて、現在に伝わる仏典の数がとりわけ少ないわけでもないだろう。それにも関わらず、仏教が「観光仏教」「葬式仏教」と化しつつあるのは、それを理解する土壌である、純粋な信仰心が失われてしまっているからではないだろうか。(馬場光太郎)