2015年04月25日

法話するな!瀬戸内寂聴よ!

 NHKウェブなどより
療養中の瀬戸内寂聴さん 約10カ月ぶりに法話
圧迫骨折で入院し療養中だった作家、瀬戸内寂聴さん(92)が8日、約10カ月ぶりに法話を行った。

天台宗の尼僧・小説家の瀬戸内寂聴氏の守護霊が語る「仏教の本質」とは
ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集 2014.05.29

瀬戸内寂聴守護霊 「お釈迦様の教えは『煩悩即菩提』なのよ」「愛欲はねえ、仏教の本質なのよ」と煩悩を完全肯定。瀬戸内氏の理解はまさに180度引っくり返っている。

 瀬戸内氏の小説やエッセイは、痴話・猥談のオンパレードで読むに堪えないものも多い。
 守護霊が開き直って認めた通り、瀬戸内氏は出家後も煩悩を克服するどころか、性的に不道徳な人々に共感しており、心は色情の世界をさまよっていると言わざるを得ない。

 天台宗開祖の天台智顗は、心のあり方によって(天国から地獄までの)どの世界に通じるかが決まると説き、心を高めるための修行を重視していた。

 霊言では、瀬戸内氏守護霊は極楽と地獄の存在を認めたが、「(天国・地獄は)上下なんていうもんじゃないのよ」「(血の池地獄は)楽しい世界なのよ」などと語り、結局は天国と地獄の区別を曖昧にした。ちなみに、瀬戸内氏守護霊は血の池地獄(色情地獄)を「あの世のナイトクラブ」と呼び、自分はそこの経営者みたいなものと語った。悪人でも天国に行けることになる。これが、歴史的に天台宗の堕落を招いた原因であるし、瀬戸内氏の倫理感が薄い理由でもあるだろう。

 瀬戸内氏自身が不倫で家庭を捨てた体験を持っているが、それについて訊かれると「家庭が壊れただの、どうなっただの、そんなの当たり前じゃないの! 世の中でどこにでもあるこっちゃ!」「なんで後悔しなきゃいけないのよ」と猛々しく語り、質問者を絶句させた。

 釈尊は仏・法・僧の三宝への帰依、つまり仏陀である自身への信仰を説いた。しかし瀬戸内氏は、釈尊が生誕直後に「天上天下唯我独尊」(天上でも天下でも尊いのは私一人)と宣言したという伝説など、釈尊の神格化をほのめかすような記述は拒否する。反対に、例えば「釈尊も病気で苦しんだ」といった人間的な話の方を好んで語る。

 瀬戸内氏の守護霊もやはり、釈尊は「庶民の一人でなければいけない」として超越的な仏陀観を否定した。さらに善悪を相対化する天台教学も手伝ってか、「魔即仏」「人間即仏」「凡人即仏」などと言いたい放題に語り、釈尊を引き下ろすだけ引き下ろして恥じることがなかった。

 また、戦争放棄を謳う憲法9条を一貫して擁護しているほか、「残りの人生は反原発にかける」と意気込むなど、反原発運動にも積極的にコミットしている。地上の瀬戸内氏は反原発の理由を訊かれて「命の大切さ」と答えているが、守護霊も「命が惜しいじゃん」と同様の解答をした。しかし、福島第一原発の事故において放射能で亡くなった人はいない一方、大勢の人が脱原発による節電で亡くなっているという事実には目を向けない。

瀬戸内守護霊「中国っていうのは日本から見ても巨大な理想国家なんですから。中国に日本を治めてもらうっていうのは、ほんと平和な国家ができるのよ」「釈迦国だって滅びたんだから、日本だって滅びたらいいのよ!」と放言。むしろ、中国の日本侵略を望んでいる本音を暴露した。「日本=悪」「中国=善」という強烈な左翼的偏見のせいで、もはや健全な判断ができなくなっているようだ。
 瀬戸内氏は、釈尊の教えよりも、戦後の唯物論的な風潮の方に親和性のある人物であることが分かる。

 今回の霊言では、瀬戸内氏が六大煩悩のほとんどを兼ね備えていることが分かった。
 霊言の後半、瀬戸内氏守護霊は「とにかくノーベル文学賞が欲しいの! ください」「これをもらわないとあの世へ還れないの!」と、改めて名誉への執着心を示した。

 瀬戸内氏は、今からでも釈尊の教えに基づいて自身の罪を反省することが望ましいが、それが困難ならば、せめて世の中を害する活動を控えるべきではないか。さもなければ、来世では、本人の罪だけではなく、世間を迷わせた思想犯として、より大きな代償を支払わされることになるだろう。
  


2015年04月25日

沖縄戦・命懸けで守る大田少将



【画像】TBS報道ドラマ:生きろ・戦場に残した伝言より

牛島満中将とともに戦い、玉砕した大田実少将 「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の意思を引き継げ
ザ・リバティ・ウェブより、有料記事のため大幅抜粋・編集 2015.04.23

《前略》
《中略》
沖縄戦で大田少将は、約1万人の将兵を率い、沖縄本島の南西部にある小禄(おろく)半島で戦闘を指揮し、玉砕しました。

天然の洞窟を利用した硫黄島とは違い、同司令官壕は何もなかった丘に鶴嘴(つるはし)などで築城されました。同時に、旧式の軍艦から取り外された艦砲や機銃などを陸戦の兵器に転用し、敵を的確に砲撃できる場所に設置するなど、強固な陣地を築き上げたのです。

陣地の構築に当たっては、周辺のサトウキビ畑が荒れてしまい、県民との軋轢が生じました。そんな時、大田少将は、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、緊急事態をどうかご理解ください」と県民に声をかけた結果、不穏な空気が収まったこともあります。

沖縄県民斯ク戦ヘリ
その後、米軍が沖縄に上陸。敗戦が決定的になってきた6月6日、海軍次官宛に「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と呼ばれる、次の電文(現代語訳)を打ちました。

「沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように」

このように、日本軍は米軍と戦う余裕しかなく、県民を省みることができなかったこと、県民は軍の作戦によく協力してくれたこと、生き別れを覚悟して軍に女性を預けた親もいたこと、衛生兵が手当を諦めた負傷兵にも、看護婦が懸命に処置をしたことなど、この電文には、県民の実情が描かれています。
一方でこの中には、「天皇陛下万歳」などの表現は一切なく、「軍は県民を省みることができなかった」という自己批判から始まっており、県民を守りきれなかった断腸の思いがひしひしと伝わってきます。日本軍は、鬼のような心を持っていたわけではないのです。

しかし、70年が過ぎた今、大田少将などが命を懸けて守り抜こうとした沖縄に、再び侵略の危機が迫っています。沖縄を植民地にしないためにも、先人の意思を引き継ぎ、国防への意識を高めなければなりません。(山本慧)
  


Posted by ケニー爺 at 05:32Comments(0)戦争・歴史・政治・経済