2015年04月30日

沖縄戦・牛島司令官の本音!

 読み始めた私も涙がこぼれてどうしようもなかったです・・
これが真実です・・これが牛島司令官の本心ですね。
皆で、牛島司令官並びに、軍人の方、一般の方、市民も含めまして、沖縄戦で戦われたみなさまに感謝の念を向け、よくやってくれました、お疲れ様でした、ありがとうございました、と言葉をかけてもらえたらうれしいです。
アメリカは、卑怯にも疎開船・対馬丸を攻撃し沈没させましたし、一般住民を、海からの艦砲射撃で、島をまるごと蜂の巣状態にしたり、ナパーム弾、焼夷弾、火炎放射器で山を、洞窟を焼きました。日本軍はこのような非人道的な攻撃は絶対しませんよね。

【書籍】沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言


牛島満 それは、私が最終責任者ですから、何としても、米軍を……、沖縄で食い止めたかった。食い止めたい一心で戦い抜きましたけれども、兵糧尽き、弾薬尽き、食糧尽き、水尽き、で……。 (涙で声を詰まらせながら)何もないなかで、うーん……、もう、これ以上戦えない状況で、まことに無念でありますけども、もう……。 洞窟から見れば、沖縄を囲む海は、もう、米軍の艦船ばかりで、日本の船など一隻もない状態で……。わが非力を、もう、わが非力を嘆くほかなく、武器、弾薬、食糧、水……、何もないなかで、いかなる戦略も戦術も、もはや通じない。 数多くの教え子たちを死なせながら、もはや、彼らを救う手立て、作戦の一つも立てることができない状況で……。 (苦しそうに息を吐く)はあ、はあ……。何とかして、最後の使命を果たしたいと思って戦いましたが、持ちこたえることができず、まことにもって申し訳ない!(悔しそうに涙を拭う)

里村 ただ、牛島中将をはじめ、みなさまのご活躍で、現実的には、ある意味で、「アメリカ軍の本州、あるいは皇居に向かっての、それ以上の侵略は止めえた」というのが、私は事実ではないかと思います。
牛島満 (涙を拭いながら)分かりません。私には、それは分かりません。 ただ、ゼロ戦さえ、もうない状態になって、ゼロ戦なく、戦艦大和なく戦うことの厳しさや、肉弾戦で、もう、日本刀で米軍に斬り込むぐらいしか方法がないなかで、はたして、われわれが使命を果たしえたのかどうか……。それさえ分からない最期ではありましたけれども、ああ……、残念です。ああ……(すすり泣く)。
里村 いや、ただ、本当に、物量や装備にも限りがあるなかで、しかも、一般住民も多いという、非常に戦いにくい状況のなかで、沖縄戦を三カ月近く戦い続けられました。 しかも、アメリカの現地司令官のサイモン・バックナー中将が戦死するという、アメリカ軍にとって、いまだかつてなく、今もない、そのような戦果も挙げられているわけです。
牛島満 (涙ぐみ洟をすする)いや、そんな……。
里村 そして、沖縄でのこの決戦が、事実上、最後の大決戦になったという意味では、私は、「牛島中将をはじめ、沖縄戦で戦われたみなさま、一般の方、市民も含めて、よく戦われたのではないか。これが、むしろ、公正な評価ではないか」と思うのですけれども、いかがでしょうか。
牛島満 「敵将の一人を倒せたかどうか」というようなことは、そんなに大きな問題ではございません。私たちは、沖縄の人たちを護り切れなかったことが、悔しい!
里村 はい。
牛島満 われわれ軍人は、全員玉砕するつもりでありましたけど、 まあ、われわれは職業軍人ですから、死ぬことを覚悟して、この職業に就いております以上、全員、最後の一兵まで戦って死ぬつもりではおりましたけれども……。 ただ、沖縄の民間の人々、女性や子供たちを護り切れなかったことは、軍人の最高司令官として、まことにまことに申し訳なく、わが非力により、戦後七十年にわたって、いまだに沖縄の人々が、日本の国に対して不信感を抱き、その戦いに対して、「無謀な、無駄な戦いであった」と言い続けておられるのであるならば、まこと、「私、ただ一人の責任」と言わざるをえません! 陛下に対しても、まことに申し訳なく、ふがいなく、陸軍士官学校にて教鞭を執っておった者の責任者として、まことにまことに、わが兵法の拙さを懺悔するのみであります!(涙を拭う)
  


Posted by ケニー爺 at 07:22Comments(0)戦争・歴史・政治・経済