2015年04月08日

☆祝☆音楽コンクール全国大会3名入賞

 幸福の科学学園関西校
全日本ジュニアクラシック音楽コンクール全国大会で入賞

2015.04.05 ザ・リバティ・ウェブより、抜粋・編集

幸福の科学学園関西校(滋賀県)の音楽部に所属する生徒が、東京都で開催された「第28回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール全国大会」の弦楽器・声楽部門に出場し、佐々木拓さん(中1)が弦楽器・中学生の部で入選、三宅智陽(ちはる)さん(中2)が声楽・中学生の部で5位入賞、三宅智大(ともはる)さん(高1)が声楽・高校生の部で審査員賞を受賞した。

同コンクールは、音楽を勉強したい人を対象に、将来国際的に活躍できる音楽家として羽ばたけるように学習機会を提供することを目的として設立された大会。プロも参加でき、その実力を評価することで応援するという目的もあるという。

特に、トスティ作曲の「夢」を歌った三宅智陽さんは、中学の部は1位と2位が「該当者なし」のため、実質3位。
ドナウディ作曲の「おお愛する人の」を歌った三宅智大さんが受賞した審査員賞は、実質的な6位に当たる。
今回の全国大会は、全国の予選・本選を通過した35人が出場していた。

幸福の科学学園関西校は、2010年に開校した那須本校(栃木県)に続いて、2013年に開校した。同学園は、幸福の科学の教育理念のもとに創られており、徳力と学力、創造力を備えた人材の育成を目指している。
  


2015年04月08日

正義の見方:両陛下のペリリュー島訪問

 両陛下のペリリュー島訪問を「反省の機会」にするメディア(朝日ほか)

ザ・リバティ・ウェブ【国内政治ニュース、今週のこれだけ!】4月6日版より、抜粋・編集

【前提】
天皇・皇后両陛下が8~9日(今週の木、金曜日)にパラオ共和国を訪問され、ペリリュー島にて戦没者慰霊碑に供花されることが決まっています。

【できごと】
「ペリリュー島の戦い」への関心が高まり、各紙が関連する記事を掲載しています。しかし、犠牲者への「慰霊」を、「大戦への反省の機会」として捉える向きがあります。
4日付朝日新聞は、天皇陛下の慰霊に関連した記事を掲載。天皇陛下の今までの、戦争犠牲者を悼み、平和を祈る言葉を紹介しました。
また、パラオの元大統領クニオ・ナカムラ氏へのインタビューから、「戦争はだめ、パラオ人は皆思ってる」という言葉を紹介しています。

【どう見るか?】
こうした報じ方に欠けているのは、英霊への「感謝」の一言です。
ペリリュー島で戦った日本軍は「祖国を守る」という意図を持っていました。その事実を知っているかどうかで、この戦いへの見方は180度変わります。
国民が両陛下の慰霊を、先の大戦への「反省」を深める機会としてのみ受け止めないよう、「ペリリュー島の戦い」への正しい見方を広げていく必要があります。


ザ・リバティ・ウェブ2015.04.07より、抜粋・編集
1944年、パラオの小さな島で日米の最強軍同士が激突しました。関東軍最強と評された「第14師団」1万人と、米軍最強と言われた海兵隊の「第1海兵師団」など4万人です。

日本軍は島内の洞窟を坑道でつなぎ、米軍の焼夷弾や火炎放射器などによる猛攻に抵抗。2カ月にわたる激戦で、島の森林は焼き尽くされました。日本側はほぼ全滅。中川大佐は「サクラサクラ」と本土に電報し、突撃したと言われます。一方、「2、3日で勝てる」と楽観視していた米海兵隊も壊滅的被害を受けました。

ペリリュー島の戦いは、NHKが昨年夏に「狂気の戦場」と題して特集するなど、「悲惨な戦争を繰り返してはならない」と否定的に語られることがあります。
しかし、戦いの意味について中川大佐の霊はこう語りました。
「私も含め、部下たちが無駄死にしたとは思っていない」
「『われわれが一日持ち堪えることが、祖国への攻撃を一日遅らせることになるんだ。われわれが死ぬ代わりに、祖国の人たちが何千、何万と死ぬのを食い止めているんだ』という気持ちはあったね」

この戦いでは、それまで日本軍が行っていた「万歳突撃」ではなく、「一日でも長く戦う」という方針が取られました。これが沖縄や硫黄島で行われた「持久戦」の手本となったのです。
実際に米軍は、これらの戦いにおける日本軍の勇猛さを見て、日本への本土上陸戦を止めたとも言われています。彼らが戦っていなければ、日本が戦場となっていた可能性があるのです。

中川大佐の霊は、「ペリリューは狂気の戦いだった」という意見に対し、こう語りました。
「人はねえ、憎しみでもっては戦えないよ。やっぱり、愛のために戦うのであってねえ、憎しみでアメリカ人を殺せないよ。だから、『祖国への愛』、それから、『家族への愛』、『同胞を守る』ということのために戦うんだな」

GHQ最高司令官マッカーサーが戦後、「日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」と語ったように、当時の軍人たちは家族や日本を守るために戦いました。

日本は戦後70年の首相談話で、自虐史観の元凶である河野・村山談話を撤回する必要があります。それが、大戦犠牲者への供養につながります。
  


Posted by ケニー爺 at 06:39Comments(0)戦争・歴史・政治・経済