2015年05月04日
中国による「新たな冷戦」に備えよ
ザ・リバティ号外より
大川総裁が沖縄で講演
基地移設を円滑に行い中国による「新たな冷戦」に備えよ

翁長雄志(おながたけし)・沖縄県知事は、普天間にある米軍基地の辺野古への移設に強硬に反対しています。このままでは、米軍が沖縄から撤退する事態も考えられます。
大川総裁は4月19日、沖縄県国くに頭郡恩納村(がみぐんおんなそん)にある幸福の科学沖縄正心館で「真の平和に向けて」と題し講演。基地問題への考え方を述べました。
移設反対は沖縄の「総意」?
大川総裁はまず、翁長氏が「沖縄県の総意」という言葉で、基地移設に反発していることに、疑問を示します。昨年の県知事選では翁長氏が勝利しましたが、得票率は51%と、半分をわずかに上回ったのみ。しかし翁長氏の発言は、あたかも沖縄県の全員が自分を支持しているようにも映ります。
また、沖縄の地元紙などは、基地移設への反対運動を大々的に取り上げています。しかし、実際は
多くの参加者が、本土から来た運動員だと言われています。
大川総裁は、「沖縄の民意・総意と言う以上、他県から多くの応援を呼んで、テレビにPRしたり新聞に載せたりするのは正直ではない」と世論誘導を批判しました。
沖縄戦での犠牲は無駄ではなかった
次に大川総裁は、基地移設反対論の根底にある、沖縄戦での犠牲について触れ、こう述べました。
「(欧米の)侵略主義が、これで終わったんです」 沖縄を中心とする戦いで、日本軍は米軍に予想以上の打撃を与えます。それにより本土決戦が避けられ、多くの命が助かりました。
さらに、弱いと思われていた有色人種の善戦を見て、欧米の植民地だったアジア諸国は「独立への
勇気」を奮い起こします。欧米諸国も人種差別的な侵略主義を反省するきっかけを得ました。その後、
世界中で植民地独立が行われました。沖縄戦は歴史を変えたのです。
大川総裁は慰霊の思いも込め、英霊たちへの感謝を述べました。
沖縄を二度と戦場にしない
その侵略主義を復活させようとしているのが、中国です。
大川総裁は「次に来る戦争や冷戦に、備えなければいけない時期に、今差しかかっている」と述べ
ました。アジア全体を見れば、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、日本に石油を輸出するタンカー輸送路を包み込むように、参加国を増やしています。
また、中国はフィリピンと紛争関係にある南沙諸島に、巨大な滑走路を建設。世界から警戒されてい
ます。
一昔前には想像もできないほど緊迫するアジア情勢。そんな中で、沖縄から米軍が撤退すれば、いつでも日本は石油が止められ、中国に「生殺与奪の権」を握られます。
また、国際的な緊張の中で沖縄が中国に領有されれば、再び大きな被害が出ます。沖縄に再び悲劇を招かないためにも、辺野古基地への移設を円滑に行わなければなりません。
大川総裁は、アジア情勢を考えると「戦略眼を持たないで物事を考えるのは危険」と「真の平和」をもたらすための指針を語り、「沖縄を二度と戦いの地にしない」と訴えました。
沖縄から米軍が撤退すれば、石油を輸送するシーレーンが止められ、経済の「生殺与奪の権」が握られれば、日本が半・属国化する可能性がある。
2015年05月04日
善光寺・お数珠頂戴に出会う!
5月2日の夕方5時頃、善光寺で、お数珠頂戴に出会いました。たくさんの方々が頭を下げて並んでいましたので、日本人全体としてぼんやりとした信仰心は持っているでしょうし、こんなにも混んでいますので、神社にお参りする習慣もあるのだと思います。でも、今、本当の神が日本に生まれていて、現在進行形で共に生きておられるということを、どうか知ってほしいと思います。

神の声が聞こえる時代の意味
ザ・リバティ・ウェブより、有料記事のため大幅抜粋・編集 2015.03.29
私たちが主張しているのは、「今、天上界の意向、考え方が明らかにできる時期だ」ということなのです。
今は、二千年前のイエスの時代や、二千六百年前の仏陀の時代、あるいはソクラテスの時代と同じように、天上界の意向、特に、神や仏といわれる方々の意向が分かる時代です。しかも今回は、名前入りで、誰の意見であるかということまで明らかにされています。人類史においては、極めて貴重で珍しい時代です。ここまで明確に、「天上界の、誰の意向がどうなのか」ということが明らかに分かる時代は、今のところ、有史以後はありません。
天上界にいる一人の指導霊の意見だけを受けている宗教がほとんどです。しかし、指導霊にも得意・不得意があって、何もかもは答えられないところがあります。けれども幸福の科学は、天上界の様々な専門家の霊がチームを組んで、全面的にバックアップしている状況です。
今は現実に、天上界の神・仏・高級霊と言われる方々の声が聞こえている時代なのだと知っていただきたいと思います。私たちが、幸福の科学の組織としての活動で、ここを埋めなければいけないのです。今回、それを明確にするのが、幸福の科学という組織の使命です。
1月5日には、安倍首相は伊勢神宮に行かれて、その後、中東歴訪にも行かれたのでしょうけれども、伊勢神宮にお参りされて、何かお答えをいただいたのでしょうか。その後、ご尊父のお墓にも行かれていますけれども、何かお答えを聞かれたのでしょうか。聞けていないはずです。
答えは、私のほうから出ています。天照大神のお考えも、お父様のお考えも、私のほうからお伝えしています。今は、そういう時代に入っていて、普通の時代とは違うのだと認識しなければならないのです。
今、アッラーの考え方が何であるかということが明らかにできる時代に入っています。(アッラーの神はエル・カンターレのこと・幸福の科学の霊査)
ただ、残念ながら今のところ、影響を受けても、日本は「黙っているのが賢い」という雰囲気が強いのですが、「神仏の声が降りているときには、それに対してアクションを起こさなければいけないのだ」ということです。
また、現在の日本人的な、正しさ、には問題があります。
一つは、とにかく「人命があればいい」という、人命第一主義です。しかし、この考え方は、唯物論に極めて近くなることもあります。この世だけ快楽であればいいという思想や人間機械説にも割に近いのです。
それからもう一つは、神仏や霊界に関わることがこの世的なタブーになっていることです。そういったものを、魔術や魔法の世界のように考えています。古代返りをすることであり、近代法治国家における啓蒙主義や、科学主義に反することだと思っているような人がたくさんいるのです。
時代が進んだからといって、神や仏がいなくなるわけではありません。伊勢神宮にお参りに行く習慣は良いことですし、お盆に先祖供養のために故郷に帰ることも良いことだとは思います。しかし、本来の人間の姿としては、「神仏の声が聞きたい」ということでなければなりません。
「神仏や霊言が絡んでいるから、この世的には認められない」とか、「宗教はこの世的な政治活動や経済活動、教育活動をすべきでない」といった考え方は、やはり迷妄です。実は、後れた考え方なのだということを明らかにしておかなければいけないと思います。

神の声が聞こえる時代の意味
ザ・リバティ・ウェブより、有料記事のため大幅抜粋・編集 2015.03.29
私たちが主張しているのは、「今、天上界の意向、考え方が明らかにできる時期だ」ということなのです。
今は、二千年前のイエスの時代や、二千六百年前の仏陀の時代、あるいはソクラテスの時代と同じように、天上界の意向、特に、神や仏といわれる方々の意向が分かる時代です。しかも今回は、名前入りで、誰の意見であるかということまで明らかにされています。人類史においては、極めて貴重で珍しい時代です。ここまで明確に、「天上界の、誰の意向がどうなのか」ということが明らかに分かる時代は、今のところ、有史以後はありません。
天上界にいる一人の指導霊の意見だけを受けている宗教がほとんどです。しかし、指導霊にも得意・不得意があって、何もかもは答えられないところがあります。けれども幸福の科学は、天上界の様々な専門家の霊がチームを組んで、全面的にバックアップしている状況です。
今は現実に、天上界の神・仏・高級霊と言われる方々の声が聞こえている時代なのだと知っていただきたいと思います。私たちが、幸福の科学の組織としての活動で、ここを埋めなければいけないのです。今回、それを明確にするのが、幸福の科学という組織の使命です。
1月5日には、安倍首相は伊勢神宮に行かれて、その後、中東歴訪にも行かれたのでしょうけれども、伊勢神宮にお参りされて、何かお答えをいただいたのでしょうか。その後、ご尊父のお墓にも行かれていますけれども、何かお答えを聞かれたのでしょうか。聞けていないはずです。
答えは、私のほうから出ています。天照大神のお考えも、お父様のお考えも、私のほうからお伝えしています。今は、そういう時代に入っていて、普通の時代とは違うのだと認識しなければならないのです。
今、アッラーの考え方が何であるかということが明らかにできる時代に入っています。(アッラーの神はエル・カンターレのこと・幸福の科学の霊査)
ただ、残念ながら今のところ、影響を受けても、日本は「黙っているのが賢い」という雰囲気が強いのですが、「神仏の声が降りているときには、それに対してアクションを起こさなければいけないのだ」ということです。
また、現在の日本人的な、正しさ、には問題があります。
一つは、とにかく「人命があればいい」という、人命第一主義です。しかし、この考え方は、唯物論に極めて近くなることもあります。この世だけ快楽であればいいという思想や人間機械説にも割に近いのです。
それからもう一つは、神仏や霊界に関わることがこの世的なタブーになっていることです。そういったものを、魔術や魔法の世界のように考えています。古代返りをすることであり、近代法治国家における啓蒙主義や、科学主義に反することだと思っているような人がたくさんいるのです。
時代が進んだからといって、神や仏がいなくなるわけではありません。伊勢神宮にお参りに行く習慣は良いことですし、お盆に先祖供養のために故郷に帰ることも良いことだとは思います。しかし、本来の人間の姿としては、「神仏の声が聞きたい」ということでなければなりません。
「神仏や霊言が絡んでいるから、この世的には認められない」とか、「宗教はこの世的な政治活動や経済活動、教育活動をすべきでない」といった考え方は、やはり迷妄です。実は、後れた考え方なのだということを明らかにしておかなければいけないと思います。