2015年05月27日
アンジーの乳房切除・卵巣摘出の件
アンジーが行った乳房切除・卵巣摘出について考える
アー・ユー・ハッピーサイトより 201506
http://www.are-you-happy.com/article_opinion/4469
今年3月24日、女優のアンジーことアンジェリーナ・ジョリーさん(39歳)が、卵巣がんの予防のため、卵巣と卵管の摘出手術を行ったことを「ニューヨーク・タイムズ」誌で告白。そのニュースは瞬く間に世界を駆け巡った。
アンジーは2013年に遺伝子検査を受け、医師から、「乳がんになるリスクが87%、卵巣がんになるリスクが50%ある」という宣告を受け、同年、乳がん予防のため、両乳房の切除手術と同時再建手術を済ませていた。
乳がんになるリスクは5%以下になったというが、その後受けた血液検査で卵巣がんの可能性を指摘され、さらに卵巣と卵管の切除手術を決意したのだ。
この決断は「簡単ではなかった」とアンジーは語っているが、手術に踏み切った背景には理由があった。2007年、最愛の母を、2013年には叔母を、いずれも長期のがん闘病の末に亡くしていたのだ。
アンジーは、俳優ブラッド・ピット(51歳)との間にもうけた3人の実子のほかに、養子3人の計6人の子供を育てている。「ニューヨーク・タイムズ」誌に寄稿した手記の中で、「子供たちが『ママを卵巣がんで亡くした』と決して言わないで済むように」と語ったように、“母親としての思い”が手術に踏み切らせたのだった。

産婦人科専門医の阿部結貴さんは、アンジーの決断についてこう話す。
「アメリカのガイドラインによると、HBOCの方の乳がん検診は、25歳から半年毎の乳房触診、毎年のマンモグラフィーとMRIを受けることになっており、乳房の切除手術の選択肢について相談する、となっています。
卵巣がんは早期発見が難しいのですが、手術をしない場合は35歳から半年毎の経膣超音波検査+腫瘍マーカー採血という検診方法が勧められます。卵巣・卵管摘出手術は、がんのリスクや手術の利点欠点などをよく話し合ったうえで、35~40歳または出産終了時に勧めることになっています。両方の卵巣がなくなると、通常、妊娠・出産はできなくなります。また女性ホルモンが出なくなるため更年期症状が出現し、早くに閉経するため、ホルモン補充療法が必要になります。
がんが起こる原因としては大きく環境要因(生活習慣)と、遺伝要因があるといわれており、遺伝だけで必ずがんになるわけではありません。治療法の選択には、がんに対する考え方が大きく影響してくるのではないでしょうか」
日本では、大学病院をはじめとする全国65件以上の病院で、遺伝子検査が行われている。保険が適用されないため、全額自己負担で30万円前後と高額だ。しかし今後、遺伝子検査や、がん予防のための摘出手術がメジャーになる可能性もある。
大川総裁は、著書『未来の法』で、「ガンは、各人が、心の悩みによって、つくることができるものです(過労や強度の責任感が原因の場合もある)。自分でつくることができるものであるならば、自分で消すこともまた可能です。自分で治すことも可能なのです」と説いている。
遺伝子が原因でがんの発症リスクが高まることも否めないが、心のあり方ががんを作り出しているという真実を知り、自らの心と向き合っていかなくては、本当の意味で、リスクを取り去ることはできない。それを怠れば、発症する場所を変えて病変は現れてくるだろう。ガンは、その部分を取り除けば終わり、ではないのだ。
心の持ち方が関係して病気ができるというメカニズムを知ったうえで、生きていくために大切な肉体をどうコントロールしていくかが、大切なのかもしれない。
がん予防のため、卵巣摘出を選択したアンジー。この決断は、吉と出るか?
アー・ユー・ハッピーサイトより 201506
http://www.are-you-happy.com/article_opinion/4469
今年3月24日、女優のアンジーことアンジェリーナ・ジョリーさん(39歳)が、卵巣がんの予防のため、卵巣と卵管の摘出手術を行ったことを「ニューヨーク・タイムズ」誌で告白。そのニュースは瞬く間に世界を駆け巡った。
アンジーは2013年に遺伝子検査を受け、医師から、「乳がんになるリスクが87%、卵巣がんになるリスクが50%ある」という宣告を受け、同年、乳がん予防のため、両乳房の切除手術と同時再建手術を済ませていた。
乳がんになるリスクは5%以下になったというが、その後受けた血液検査で卵巣がんの可能性を指摘され、さらに卵巣と卵管の切除手術を決意したのだ。
この決断は「簡単ではなかった」とアンジーは語っているが、手術に踏み切った背景には理由があった。2007年、最愛の母を、2013年には叔母を、いずれも長期のがん闘病の末に亡くしていたのだ。
アンジーは、俳優ブラッド・ピット(51歳)との間にもうけた3人の実子のほかに、養子3人の計6人の子供を育てている。「ニューヨーク・タイムズ」誌に寄稿した手記の中で、「子供たちが『ママを卵巣がんで亡くした』と決して言わないで済むように」と語ったように、“母親としての思い”が手術に踏み切らせたのだった。

産婦人科専門医の阿部結貴さんは、アンジーの決断についてこう話す。
「アメリカのガイドラインによると、HBOCの方の乳がん検診は、25歳から半年毎の乳房触診、毎年のマンモグラフィーとMRIを受けることになっており、乳房の切除手術の選択肢について相談する、となっています。
卵巣がんは早期発見が難しいのですが、手術をしない場合は35歳から半年毎の経膣超音波検査+腫瘍マーカー採血という検診方法が勧められます。卵巣・卵管摘出手術は、がんのリスクや手術の利点欠点などをよく話し合ったうえで、35~40歳または出産終了時に勧めることになっています。両方の卵巣がなくなると、通常、妊娠・出産はできなくなります。また女性ホルモンが出なくなるため更年期症状が出現し、早くに閉経するため、ホルモン補充療法が必要になります。
がんが起こる原因としては大きく環境要因(生活習慣)と、遺伝要因があるといわれており、遺伝だけで必ずがんになるわけではありません。治療法の選択には、がんに対する考え方が大きく影響してくるのではないでしょうか」
日本では、大学病院をはじめとする全国65件以上の病院で、遺伝子検査が行われている。保険が適用されないため、全額自己負担で30万円前後と高額だ。しかし今後、遺伝子検査や、がん予防のための摘出手術がメジャーになる可能性もある。
大川総裁は、著書『未来の法』で、「ガンは、各人が、心の悩みによって、つくることができるものです(過労や強度の責任感が原因の場合もある)。自分でつくることができるものであるならば、自分で消すこともまた可能です。自分で治すことも可能なのです」と説いている。
遺伝子が原因でがんの発症リスクが高まることも否めないが、心のあり方ががんを作り出しているという真実を知り、自らの心と向き合っていかなくては、本当の意味で、リスクを取り去ることはできない。それを怠れば、発症する場所を変えて病変は現れてくるだろう。ガンは、その部分を取り除けば終わり、ではないのだ。
心の持ち方が関係して病気ができるというメカニズムを知ったうえで、生きていくために大切な肉体をどうコントロールしていくかが、大切なのかもしれない。
がん予防のため、卵巣摘出を選択したアンジー。この決断は、吉と出るか?
2015年05月27日
号外!硫黄島の戦いは私たちの親・祖父母を救った
ザ・リバティ号外 2015年5月24日 発行: 幸福の科学出版(株) No. 245
戦後70 年の今、歴史の見直しが進みつつあります。大戦の中で、特に悲惨な戦いとして有名なのが「硫黄島の戦い」です。あの戦いは何だったのか──。大川総裁は20日、日本軍を指揮した栗林忠ただ道みち中将の霊を呼び、現在の考えを聞きました。
安倍首相は4月、米議会における演説で「硫黄島の戦い」に触れました。「かつての敵同士が和解した」と強調し、大きな拍手を受けます。しかしそれは、激しい戦いとして知られていることの裏返しでもあります。テレビのドキュメンタリー番組などでは、空腹、病気、絶望といった生々しい描写で紹介されます。当時の様子を見てしばしば語られる言葉は「無益な戦いを繰り返してはならない」というもの。
しかし、この戦いは無意味だったのでしょうか。
持久戦の意味と部下への感謝
1945年3月、米軍は日本へ爆撃に向かうB29の中継基地として、硫黄島攻略を始めます。 硫黄島に送られた栗林中将は、持久戦を計画。本土侵攻を1日でも遅らせるためです。同島に18キロもの坑道を張り巡らせ、ゲリラ戦を展開しました。戦いが悲惨なものとして語られるのは、栗林中将が部下たちに、突撃して死ぬことを禁じたためです。今回行われた霊言の中で、栗林中将の霊は持久戦の意味をこう語りました。
「長期的な構想を持って、忍耐強い日本軍というのは、彼らには理解できなかった。すぐ『天皇陛下
万歳』と突っ込んできて終わりになると考えていた。(中略)これは兵法戦だ」栗林中将の霊は兵士たちに対し、華々しく突撃させず、過酷な坑道掘りをさせ、ゲリラ戦を強いたことへのねぎらい、ついて来てくれたことへの感謝の言葉を述べました。
アメリカに本土決戦を止めさせた
米軍にとって予想外の持久戦の結果、5日で終わると言われた戦いは36日間続きます。「硫黄島の
戦い」は、米軍が日本軍よりも多くの犠牲を出した、唯一の戦いであり、米軍屈指の強さを誇る海兵隊に「地獄の中の地獄」と言わしめました。パラオでの戦いや沖縄戦と並び、米軍に本土決戦を踏みとどまらせたといわれています。中将の霊は「私の大命は、国体の護持だった」と語ります。国体というのは天皇制に限りません。本土決戦で国内が戦場となれば、私たちの親や祖父母までもが犠牲になり、多くの文化も失われていた可能性があるのです。
英霊に感謝し強固な防衛力を
栗林中将はアメリカ留学の経験もあり、敵国の情勢に精通した名将でした。もし日本の参謀総長であれば、戦局が変わったとも言われます。栗林中将の霊は、その戦略眼から敗戦の要因を分析。日本が国際情勢や軍事技術、兵站などに対する情報力や合理的な視点を失っていたと指摘し、「ジャーナリスティックに、日々に変わる色々な事情を解析し、(戦略を)変えていく力がなければ駄目なんだ」と述べます。栗林中将はその視点から、現代の日本の外交や国際情勢についても洞察。「日本が軍事力を強めれば、近隣諸国から孤立するどころか、中韓が穏やかになる」として、安倍談話の、軍事的、な意味、中国軍の弱点、アジア情勢の展望について語りました。
私たちは命を懸けて日本を守ってくれた英霊たちに感謝しつつ、悲惨な戦争を繰り返さないためにも、緊張するアジア情勢を合理的に見据え、強固な国防体制を構築する必要があります。

【写真】硫黄島の摺鉢山で星条旗を掲げる米兵6人。この後、日本の抵抗により3人が命を落とした。

【写真】米軍はサイパンを攻略後、同基地から日本本土を空襲する爆撃機の中継基地として硫黄島を狙った。写真はウィキペディアより
戦後70 年の今、歴史の見直しが進みつつあります。大戦の中で、特に悲惨な戦いとして有名なのが「硫黄島の戦い」です。あの戦いは何だったのか──。大川総裁は20日、日本軍を指揮した栗林忠ただ道みち中将の霊を呼び、現在の考えを聞きました。
安倍首相は4月、米議会における演説で「硫黄島の戦い」に触れました。「かつての敵同士が和解した」と強調し、大きな拍手を受けます。しかしそれは、激しい戦いとして知られていることの裏返しでもあります。テレビのドキュメンタリー番組などでは、空腹、病気、絶望といった生々しい描写で紹介されます。当時の様子を見てしばしば語られる言葉は「無益な戦いを繰り返してはならない」というもの。
しかし、この戦いは無意味だったのでしょうか。
持久戦の意味と部下への感謝
1945年3月、米軍は日本へ爆撃に向かうB29の中継基地として、硫黄島攻略を始めます。 硫黄島に送られた栗林中将は、持久戦を計画。本土侵攻を1日でも遅らせるためです。同島に18キロもの坑道を張り巡らせ、ゲリラ戦を展開しました。戦いが悲惨なものとして語られるのは、栗林中将が部下たちに、突撃して死ぬことを禁じたためです。今回行われた霊言の中で、栗林中将の霊は持久戦の意味をこう語りました。
「長期的な構想を持って、忍耐強い日本軍というのは、彼らには理解できなかった。すぐ『天皇陛下
万歳』と突っ込んできて終わりになると考えていた。(中略)これは兵法戦だ」栗林中将の霊は兵士たちに対し、華々しく突撃させず、過酷な坑道掘りをさせ、ゲリラ戦を強いたことへのねぎらい、ついて来てくれたことへの感謝の言葉を述べました。
アメリカに本土決戦を止めさせた
米軍にとって予想外の持久戦の結果、5日で終わると言われた戦いは36日間続きます。「硫黄島の
戦い」は、米軍が日本軍よりも多くの犠牲を出した、唯一の戦いであり、米軍屈指の強さを誇る海兵隊に「地獄の中の地獄」と言わしめました。パラオでの戦いや沖縄戦と並び、米軍に本土決戦を踏みとどまらせたといわれています。中将の霊は「私の大命は、国体の護持だった」と語ります。国体というのは天皇制に限りません。本土決戦で国内が戦場となれば、私たちの親や祖父母までもが犠牲になり、多くの文化も失われていた可能性があるのです。
英霊に感謝し強固な防衛力を
栗林中将はアメリカ留学の経験もあり、敵国の情勢に精通した名将でした。もし日本の参謀総長であれば、戦局が変わったとも言われます。栗林中将の霊は、その戦略眼から敗戦の要因を分析。日本が国際情勢や軍事技術、兵站などに対する情報力や合理的な視点を失っていたと指摘し、「ジャーナリスティックに、日々に変わる色々な事情を解析し、(戦略を)変えていく力がなければ駄目なんだ」と述べます。栗林中将はその視点から、現代の日本の外交や国際情勢についても洞察。「日本が軍事力を強めれば、近隣諸国から孤立するどころか、中韓が穏やかになる」として、安倍談話の、軍事的、な意味、中国軍の弱点、アジア情勢の展望について語りました。
私たちは命を懸けて日本を守ってくれた英霊たちに感謝しつつ、悲惨な戦争を繰り返さないためにも、緊張するアジア情勢を合理的に見据え、強固な国防体制を構築する必要があります。

【写真】硫黄島の摺鉢山で星条旗を掲げる米兵6人。この後、日本の抵抗により3人が命を落とした。

【写真】米軍はサイパンを攻略後、同基地から日本本土を空襲する爆撃機の中継基地として硫黄島を狙った。写真はウィキペディアより